■第五話 涙の藤井寺球場 2001/2/08 by Nisimura@GPW あれは5年前のことです。 思わぬ転勤を命じられた私達夫婦は、大阪、ミナミの地へ降り立ちました。 まだ大阪ドーム球場が出来る前のこと、大阪でマリーンズの応援をするには、(私は熱心な千葉ロッテマリーンズファンなんです)近鉄バッファローズのホーム、藤井寺球場へ出向くしかありませんでした。それまで大阪には縁がなく、なんだかホンコンに来たようなカルチャーショックを受けていた私達にとって、藤井寺はとてもディープな土地だったのです。 その事件がおこったのは、試合が8回の表を迎えたときでした。 スコアはマリーンズ5点:バッファローズ3点 左翼席に陣取った、私達わずか20人ほどのマリーンズファンは、ネット前に立つ2人の応援団を中心に、小さいながらも暖かい声援を送っていました。 マリーンズの攻撃、バッターは2番西村。 バッファローズファンで埋まる右翼席から、恰幅の良い2人のオッサンが、私達のいる左翼席へと歩いてきました。まばらに座るマリーンズファンのど真ん中に「よっこらしょ」と座った2人の胸には純金のチェーンが光り、腕にはキンキラのロレックス、袖口からはタトゥーがちらり。さらにパンチパーマにサングラス。 どこから見ても地回りのヤクザです。 やがてアニキ格のヤクザが2人の応援団に向かって「ちょっとおいで」と手招きをしました。 そして2人を目の前に立たせ、ビール片手に説教が始まりました。 説教のテーマは「なぜキミ達は藤井寺まで来て、ロッテの応援などするのか」 あるじを失った20人のマリーンズファンは沈黙しました。 目の前で進行する出来事は目に入らないことにし、(だって僕たちは野球見に来たんだもんね)という共通の認識のもと、ひたすらグランドのゲームに注目するのでした。 ゲームは進み8回の裏、先発小宮山が打ち込まれ、逆転のピンチを迎えていました。 藤井寺のブルペンは外野席の目の前にあります。 リリーフの切り札、成本がマウンドに向かうのを見て、私達は最後の勇気を振り絞り、ヤクザの目を気にしつつも、「シュゴシンナリモト、シュゴシンナリモト」と、呪文のような声援で送り出したのでした。 成本は打ち込まれました。1点、2点、3点、4点。 やがて9回の表。マリーンズ最後の攻撃も2アウトランナーなし。 2人のヤクザは満足そうに右翼席へと帰っていきました。 私達に「負けとるやないか、しっかり応援したれや!」という捨てぜりふを残して。 バッファローズの勝利に沸く帰りの近鉄電車で、マリーンズのキャップをかぶったウチのカミサンは、見知らぬオッサンから「ワイ、オンナのロッテファンは生まれて初めて見たワ」とからかわれ、「2度とここへはこない!」と私に宣言するのでした。 そしていま、マリンスタジアムへ徒歩5分のこの地に住めることに、
ささやかな幸せを感じないわけにはいかないのです。
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2013/6/9 お名前[なし]
大阪府民で旧近鉄バファローズファン(=現アンチオリックス)の一人です。ガラの悪い地域?である為、当時不快な思いをさせてしまい、勝手に地元を代表して、お詫び申し上げます。当時のバファローズ同様、当地の人間もまた個性豊かな?人が多い土地柄と理解していただき、何卒笑ってお許しいただけましたら、ありがたいです。 |