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『 有難うベイタウン 』
 MMM(元20番街)
オアシス通信32号より
この駄文が皆様方のお目を汚している頃、私は桜島を指呼の間に望む鹿児島市のマンションで妻と一緒に、ベイタウンで過ごした約3年間をしみじみ振り返っていることでしょう。私たちは約3年間住んだベイタウンを、去る7月29日に転出、帰郷いたしました。

思えば3年前の9月9日、鹿児島空港から機上の人となり、飛行機の窓から振り返った桜島の雄大な景色に「今度いつまた鹿児島の地を踏めるだろう」と些か感傷的になりながら、住み慣れた鹿児島市をを旅立ってきました。落ち着いた先はベイタウンの長女宅の斜め前、パティオス20番街の公団住宅でした。

これまで何回か長女宅には行ったことがありましたが、所詮旅人にすぎませんでした。いざ住んでみると西も東も分からないような状態でした。ベイタウンの第一印象は、整然と区画され計画的な街づくりが進められて、電柱は地中化され、道路脇にゴミ収集所はなく、路傍に自販機もなく空き缶の散乱のない、清潔で住み心地のよさそうな街ということでした。しかし、何となくよそよそしく、ツンと澄ましたような美人のようで取っ付きにくい感じがしたものでした。

なんとかコミュニティの一員になれないものかと思っていましたが、ある日「オアシス」の事務所の張り紙が目に留まりました。シニアクラブの「紅葉狩り」のお誘いでした。思い切って全然面識の無いOさんにファックスを送り申し込みましたところ、快く参加を認めてくれました。「清水渓流行き」のバスの中で一人ひとりに自己紹介があり、真っ先に指名をされて「長女の勧めで転居してまいりました」と挨拶しましたが、その後何人かの人が同じようなことを言われ、何となくほっとした気分になったものでした。

途中休憩所に、当時は存じ上げませんでしたが、今から思えばS会長さんほか数人の方から親しく声をかけていただき、地域に受け入れてもらえたと実感しました。その後、シニアクラブの一日旅行には毎回参加させていただき、東京湾クルージングなど貴重な体験もしましたし、正月の芋煮会やフォークダンス、清掃ボランティア、妻はコーラスグループに加入するなど楽しく過ごさせて頂きました。

また、娘の家族と「マザー牧場」うあ「潮来のあやめまつり」にも行き、銚子の「犬吠埼灯台」にも上がりました。夫婦で八ヶ岳観光、長野の善光寺の御柱祭、東北の北上山地、中禅寺湖の日帰り、十和田湖・奥入瀬渓流の一泊旅行、さらに娘夫婦と孫も一緒に箱根一泊、修善寺一泊旅行にも行きました。後楽園ドームでの巨人戦や国技館での大相撲観戦、話題の靖国神社にも参拝しましたし、NHKの「スタジオパークからこんいちは」では相田翔子さんを間近に見ました。この間長女に待望の女の子の孫が産まれ(次女は二人の男の子がいる)家庭的にも吉事がありました。

振り返ると尽きぬ思い出ででいっぱいでした。ただ加齢に伴う軽度の白内障や老眼のため、自転車で走り回りながら気づくのが遅れて、皆様に失礼を重ねてきたのではないかと気に懸かっています。

家庭の事情と、鹿児島市の現住所のマンションをそのままにしていたことなどで帰郷しましたが、真に去り難い思いでした。帰郷が近づいたころ、第五公園でやっと歩けるようになった女の子の孫を遊ばせながら、ベイタウンの風景に帰郷にも似た感情が沸いてきて、しっかりと脳裏に焼き付けようとしている自分に気づきました。妻とまた千葉に帰りたいと、千葉に若干の荷物も預けておりますので、時々故郷に帰るつもりでベイタウンに行きたいと思っています。

皆様本当に有難うございました。

2005年7月22日 記
2005/9/17 掲載

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