小説 「大宮」 書きかけだけど、無理やり・・・
夏の昼下がりの公園は残酷だった。 容赦なく照りつける太陽に、人影も無く、伸び放題の夏草が不気味な香りを放っていた。 直彦は、誰かが忘れていったサッカーボールをゆっくりドリブルしながら空を仰いだ。 遠くに大きな入道雲が沸いている。 直彦の生まれ育った高崎の方角だ。
昭和38年夏。 直彦は小学校5年生だった。 1学期を終え、高崎から大宮へ引っ越した。 東北本線の線路脇にいくつか並んだ小さな古い貸家が直彦の新しい住まいだった。 中山道から奥まっていて、雨が降らなくてもいつも湿っている路地を入った所。 路地は舗装も無く、生活排水がそのまま流れていて、うっかりすると転んで泥だらけになってしまう。 父親は元々大工だった。 数年前に作業現場で転落してから腰を悪くし、職を失い、知人を頼って大宮に来たのだが、あてにしていた知人も景気が悪く、引っ越してくる直前に夜逃げをしたようだった。
直彦は凡そ家庭が貧乏だということは知っていたものの、内職する母の稼ぎで十分だと思っていた。ちゃんと学校にも行けるし、お使いに行けば10円の駄賃も貰っていた。よその家が自動車に乗って海に行った話を聞いても全然羨ましくなかった。ただ、仲の良かった高崎の克之と離れなくてはならないのが悲しかった。夏休みの転校だから、もちろん新しい学校の友人は誰もいない。家にいてもつまらないし、仕方なく公園に行くが、人を寄せ付けない灼熱地獄だった。
公園といっても遊具があるわけではなかった。大宮車線区の大きな工場のような建物裏の単なる空き地である。所々に朽ちかけた鉄条網があるということは、本来は国鉄の敷地なのかもしれない。それでも近所の人たちは公園と呼んでいる。誰が作ったのか分からないおんぼろのサッカーゴールがあり、野球がすぐ出来るように発泡スチロールのホームベースもあった。しかし、外野にあたるところは、人の丈より遥かに高い夏草が樹海のようになっていて、内野のほうまで浸出しかけていた。直彦は、その樹海の中に隠れ家を作った。折れたところから白い汁が出る大きな葉の草をかき分けて奥に進むと、誰も知らない秘密の園が広がっていた。
直彦は、自分が横になれるように、辺りの草をなぎ倒し、更に、むしった草を敷き詰めて、自分の部屋を作った。狭い家には自分の部屋は無い。毎日のようにそこに出かけては拾った段ボールや新聞紙などで、寝床を作っていった。そして、そこに寝そべってはまったく雨の降りそうもない真っ青な空を眺めていたのだった。当然ながら強い日差しを受けて直彦の体は真っ赤に日に焼けた。そして、得体の知れない虫が体中を刺して、腫れ上がり母親を驚かせた。
母は夕食の後、直彦にオロナインの軟膏を塗っていた。 「なんだい。今日は何処行ってたんだい?こんなに日に焼けて。まっかっかじゃない。それにブヨに刺されてるんじゃないの。こんなに大きく腫れて。昼間は家でじっとしてたほうがいいんだよ。」痩せこけた手が直彦には痛々しかった。 「うん、公園に行ってた。サッカーもやってきたし、探検もしてきた。」直彦は明るく応えた。 「そうかい。もう友達できたんかい?2学期になったらできるだろうけど、今は勉強しておかないとね。」 「大丈夫だよ。適当にやってる。ところで、父さんはどこに行ってるの?」 「ああ、また喧嘩しちゃって、どこに行ったものかねえ。氷川神社のほうにでも行ったんじゃない?」 「僕、迎えに行ってこようか?京華にでもいるんじゃない?」 京華とは、神社の参道の辺りにある小さな焼き鳥屋だった。 中国人の夫婦で始めた中華料理の店だったが、いつの間にか焼き鳥屋に変身していた。
大宮。古くから中山道の宿場町として栄えていた。大宮氷川神社の参拝客も多く、駅から参道に続く通りは土産物屋が並ぶ。しかし、郊外に行くと緑豊かな環境で、昔ながらの農家の庭には屋敷森の名残の大きな欅の木が繁っていた。直彦の家の周囲にはこれといった大きな木は無いが、中山道の通りの向こうに大きな欅の木がたくさん見えた。氷川神社の境内の森だった。平坦な地なのに山のように盛り上がっていた。高い建物が無いために近くに見えた。
夜になり、幾分涼しくなってきた。 そろそろ盆も近づいてきた。 ところどころにしか電灯の無い暗い夜道を歩くと、道端の草むらからじーと鳴く虫が大合掌していた。白熱灯には、気持ちの悪いくらいの大きな蛾がバサバサと飛んでいるのが見えた。5分ほど歩くと中山道に出る。夜になると車の数は少ないが、それでも周囲の道より格段に明るい。中仙道を斜めに渡り、氷川神社に向かう道を行くと、再び暗がりが広がる。ところどころに裸電球の街灯が氷川神社のほうへ道しるべのように光っている。人通りは殆ど無かった。
直彦は心細くなって歌を歌いながら、歩く。100メートル先に、父がとぼとぼと直彦のほうへ向かって歩いているのが見えた。 「父さん!」直彦は大声で父を呼ぶ。 「お、ナオか。どうしたい。母さんに探してこい、って言われたか。」このところめっきり痩せてきた父親は精一杯笑顔を作った。いや、実際には暗がりで良く見えなかったが、直彦にはそう思えた。 腰が悪いので、それほど早く歩けないにしろ、このところの父は仕事も無く、意気消沈しているようだった。まるで、母親に叱られたこどものような足取りだった。
なかなか近づかない父に痺れを切らし、直彦は駆け寄る。 「うん。かあさんが心配してた。それに、母さん、ミシンの内職が決まったから、ミシン買わなきゃ、って言ってたよ。」 「そうか。それは良かった。」 「よくないよ。父さんがお金が無いのに飲み歩いてるから、ミシン買えない、って言ってたよ。」 「そんなこと言ってたか。俺だってよ、楽しくて飲んでんじゃねえって、かあさんに言っておけ!」 暗くて顔色はよく分からないが、父の吐く息の臭いで相当飲んでいるようだった。 それから直彦も父も暫く黙っていた。遠くから照らしている電灯が親子の長い影を作った。
翌日、直彦が目覚めると、珍しく父の姿が無かった。 母は、ちゃぶ台に山のように積み上げられた荷札のようなものに針金を通していた。 「母さん、父さんどこに行ったの?」 「さあてね。飲み屋からの紹介で川口のほうに仕事があるから、なんて行ってたけど。前みたいに騙されてるのかもしれないよ。」母は直彦のほうには目もくれず、一心に内職を続けた。 「今度の内職、大変そうだね。手伝おうか。」 「いいよ、いいよ。あんたじゃできない。それより、勉強しな。2学期になって勉強できなかったら恥ずかしいよ。克之君と約束したんだろ?いっぱい勉強して東大に行くって。」 「東大じゃないよ。東工大だよ。」 「どっちだっていいよ。大学なら。」
(つづく)
実際にはかなりの長編になって、ほぼ完成しているのですが、時勢の不一致など、ちょっと曖昧な箇所がたくさんあって、オモテに出す前に推敲しないと、みっともないと判断。ということで、序章のほんの一部分だけをアップしている。いずれ、時間が出来たときには更新したいと思う。ではでは。
(2003年のある日) |