「井川さん」(あるサラリーマンの話)
井川さんは、四十代最期の冬を迎えた。
自分が五十歳になる自覚はまったく無い。
結婚も遅かったのもあるし、妻が四十を越えて出産するほど遅かったので、一人息子がまだ幼稚園に通っているからだ。
彼は、家族で出かけるのを好まない。
息子のことを「お孫さんですか?」と聞かれたことが過去にあり、それ以来、なるべく息子と一緒に歩かないようにしているのだ。
そうは言っても、さすがに一粒種の息子を可愛がっている。
出張の時は必ずお土産を買って帰る。
しかも、お土産は自分の昼食代を抜いて捻出している。
彼は土産屋でもおもちゃ屋でもずっと商品を見比べていてなかなか買おうとしない。
予算以内で、最高のものを買おうとするからだ。
彼の財布には常に3000円くらいしか入っていない。
井川さんの会社は長引く不況の為に業績を著しく落としていた。
ひょっとすると、来年の冬辺りには倒産するのではないかと思えた。
彼の年収も6年連続でダウンし、とうとう今年の夏からボーナスは無いに等しくなった。
夏と冬のボーナスは、安く買った郊外のマンションのローンの支払いに全部使っても足りなかった。一日の小遣いは1000円とした。どうしても家計が苦しいので、自分から妻に申し出た。元々タバコを吸わないのだが、好きな酒はやめられない。出来るだけ外での飲食を控えた。それでも、つき合いの酒がどうしても負担になった。
今、彼は転職を考えている。職場環境が日増しに悪くなってゆき、外部とまったく接触することの無いポジションに甘んじている。かつてはトップセールスの実績があり、本来は指導的立場にある人物なのだが、会社は指導力だけでは判断しない。年齢や実績に関係無く単に個人の成績だけを求めている。指導力はストレートに数字では計れないのだ。それがアメリカ流なのか。井川さんはふっとため息をつく。
転職たって、このご時世だし、まして年齢も50代になれば、そう簡単に就職口が見つかるわけがない。彼が営業職だった頃の古くからの得意先も体力を落としている。以前だったら彼のバイタリティを買ってくれる企業はいくらでもあった筈だ。それに、ここ5年は閑職にあり、外部とのコネクションは皆無に等しい。
「こんな話しても暗くなるだけだよな。」井川さんが笑った。
たまたま帰宅する同じ電車に乗り合わせ、彼の話をずっと黙って聞いていた。私だって、そう大して変わらないですよ。そう言いたかったが、ぐっと飲み込んだ。
井川さんは少し酔っているようだった。気の進まないつき合いの酒だったのだろう。私が先に降りる。彼は更に電車に乗り、そしてバスに揺られて帰る。
「それじゃ、失礼します。」軽く会釈して電車から降りた私は、動き出す電車の吊り革を片手に窓の向こうを見ている井川さんの姿を見送っていた。
2003/12/4
鎌ヶ谷ラーメン
うん、これはうまい。
茂野製麺のご当地ものシリーズ。
2003/12/4
キッズプロジェクト
ベイタウン・コアでのイベントに息子が参加させて頂きました。
有難い。
関係者の皆様、大変お世話になりました。(感謝!)
隣は、まいちゃん。
2003/12/6 |