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「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。 |
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撮影は2007.11.7 正午頃 |
その後の検見川送信所
特に何も変わってはいないのですが・・・ |
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エネスタ検見川のガス展で、ミニ盆栽(直径10センチから15センチくらいの小さな鉢の盆栽なのだ)を見てきた帰り、仕事のことで、カメラマンの尾関さんに電話したら、「今、検見川送信所の辺りにいる。」ということだった。私は自転車だったので、んじゃ、ってことでそちらにするするっと行った。検見川送信所は、あれから訪れていない。
あれから = 「しばざ記 161」(2006/4/6)
尾関さんは、「検見川送信所を保存する会」の影(?)の代表と一緒だった。なんでも、検見川送信所に数多くあったアンテナの基台(コンクリートの土台)を発見したという。こりゃ、検見川送信所ファンの皆さんにとってはビッグニュース。私も見せてもらった。
それは、かなり大きなコンクリートのブロックで、民家の庭にあった。どかーんとでかい。どかせばいいものを、と思ってもみたが、破壊するにしろそうとうなお金がかかってしまうと思う。
右の写真がその基台。中央の黒ずんだ立方体がそれである。夕暮れ時なので、写真がイマイチで分かりにくいかもしれない。ごめん。
「検見川送信所を保存する会」の方々は、先般、検見川送信所を多くの人たちに知って頂こうと、イベントを開催した。我々(幕張ベイタウンの仲間たち)も、(自転車に乗って)数人でお邪魔する予定だった。残念ながら当日は物凄い台風で、断念せざるを得なかった。また何か企画してほしい。
久々に見る検見川送信所は、11月だというのに、まだ夏の名残の草木が正面入り口辺りを覆っていた。1年半前に訪れたときにはもっとすかっとした印象だったので、イメージが大きく異なった。ちょっと不気味だった。でも、やはりこの建物を見る度に、この場所が、その人たちが果たしてきた歴史的な重みを感じずにはいられないのである。
【検見川送信所】
検見川送信所(けみがわそうしんじょ)は現在の千葉市花見川区検見川町にあった逓信省、日本電信電話公社の無線電信所である。1926年、東京無線局検見川送信所として開局。対外国通信を目的としていた。また日本で初めて短波による標準電波を送信した施設でもある。大東亜戦争(太平洋戦争)中は南方の占領地との通信拠点だった。表現主義の本館は東京中央郵便局を設計した逓信省技師の吉田鉄郎が設計した。1979年廃止された。2006年2月現在本館のみが残っている。(Wikipediaより)
「検見川送信所保存計画」
http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/
この写真は以下のサイトから拝借しました。(1978年の撮影だそうです。)
「検見川送信所 あれから21年」
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/t-mizukami/sousin.htm
検見川送信所の内部の貴重な写真があるサイトです。
http://haikyoex.hp.infoseek.co.jp/kemigawa.htm
1階の窓がまだ鉄板に覆われない画像もあります。
http://www.intwk.co.jp/YAMADA/build3b/kemigawa/kemigawa.html
千葉県博物館のサイトにもありました。(右の写真)
http://www.chiba-muse.or.jp/SCIENCE/kenzo/pages/070.html
2007/11/9
しばざ記 334 |
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