ジミーの家から出た後にNさんと元お弟子さん達と赤羽駅の近くで飲む。元ボーヤの西やんさんは鹿児島からすっ飛んできた。がんがん飲みまくった。二日酔いだ。だから、ボトルで焼酎を飲むのはやめたほうがいいのだ。と、昨夜言ったわけじゃなくて、Nさんが「ボトルのほうが安いんだよ!」と言うのに納得して注文しちゃったわけで・・・。ま、頭痛いのは自業自得。酒飲みって、やーね。
で、朝からスキャナーでどんどん写真を取り込んでいる。もちろん、ジミーさんの写真だ。ジミーの活躍を裏付ける貴重な写真だ。中にはジミーが赤ちゃんのときとか、5歳のジミーまである。昨日お預かりした写真だけでも5〜60枚くらいあるだろうか。奥さんがどっさり持ってきてくださり、ご家族の皆さんと私たちで色々と拝見したが、500枚、いや、1000枚くらいあるだろうか。とても全部は見ることが出来ない。でも、ファンの方々の為にいずれは全部データ化して、例えば「ジミー竹内のオフィシャルページ」をつくって、そこに掲載したい。
このページの先頭(上)の写真はシャープス&フラッツの貴重な写真。ジミーが同バンドの初代ドラマーだったわけだから、結成して間もない頃の写真だ。バスドラに書いてある文字が「WT」、つまりまだジミー竹内じゃなくて、竹内和三郎さんなのだ。
以下、写真を少しだけ公開する。
これ(↑)はおミズこと水原弘さんとのショット。かなり若い頃だよね。第1回レコ大の頃かな。
水原弘さんにしても、ザ・ピーナッツにしても、当時のトップアイドルである。
(↑)見る人が見たら「ほほう」と頷く写真。そう天才ドラマーとして世界的にも有名になった奥平真吾くん(おっと、今はもう四十代だから「くん」はおかしいか)。わずか9歳(!)でプロデビューし、11歳で「処女航海」のアルバムを発表するのだ。
という写真がいっぱいあるので、皆さん、楽しみにしてね。
と、言いつつ、時間的に余裕があったので、以下にジミーの秘蔵写真を追加する。
その代わり、年内に片付けなきゃあらない仕事が少々遅れる。うへ、やばい。
クルマの写真にはびっくり。珍しいクルマを次々に乗り換えていたのだ。それからカメラのコレクションが凄い。テーブルの上にカメラをずらりと並べて撮った写真がある。おそらく100台以上はある。そのほか、著名な方々とのショットなどもたくさんある。今ではジャズドラマーをやって一世を風靡し、更に考えられないような収入があるなんてことは有り得ない。今後もずっと無いだろう。ジミーが活躍していたのは古き良き時代だったのだ。そう考えるとジミーが最後のスタードラマーなんだろうね。
晩年、脳梗塞に倒れてから彼は、「村上”ポンタ”秀一と共演したい。」と家族に言っていたらしい。是非実現してほしかったな。
あ、それと、以前から、気になっていたことがあった。たぶんそうじゃないかと思っていた。娘さんの美佐子さん(バレエ教室経営)の名は、ナベプロの現社長である渡邊美佐さんから頂戴したらしい。長年の謎が解けた。
2009.12.31
それじゃ、また来年っ!
仕事もあるし、掃除もしなくてはならないし、やることが山積しているのにも関わらず、またまたジミーさんの写真をアップする。部屋にひとりでいると、どうしてジミーの写真を眺めてしまう。そしてひとりでも多くの方とこの気持ちを分かちあいたいという思いに駆られるのだ。いかんいかん。
どうやらこの記事で今年のブログは終了。皆さま今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。ではでは。
(↑)珍しいツインバス。しかも、ずいぶんでかい。ロゴが全然かっこよくなくて、それがまた味。シンバルのスタンドも凄いし、どうやらハイハットもない。ジミーは痩せてたなあ。まだ10代なんじゃないかな。
(↑)パール楽器製造の宣伝用の写真かなあ。ジミーはパール楽器に相当貢献したのだ。晩年彼が杖にしていたのもパール楽器が特別につくったドラムのスティック型のもの。今それはジミーの布団の脇に置いてある。出棺するときに棺の中に入れられるのだろうか。
ドラムのスティック型の杖は下に掲示。
(↑)パール楽器製造の特別仕様。ジャンボステック。70周年というのは、単に70歳記念ということだ。何本かあって、清家さんが一本持っている。またその中の一本は加工してジミーの日常の杖として活躍していた。
パール製ジミー竹内モデル(101H):http://item.rakuten.co.jp/musicfarm/c/0000000518
2009.12.31
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2009/12/31
しばざ記 785 |
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