木更津の実家にいる。昨夜、遅くまでビール飲んでごろりとしていたら、そのまま畳の上で寝てしまった。畳の上で寝るっつうのは気持ちがいいね。20世紀少年、途中から寝てしまったのでよく分からなくなった。今朝、時計を見たら3時半。いくらなんでも、早起きしすぎだろう。もうちょい寝たい。また横になるが寝られなかった。しょうがないので、4時頃にオモテに出た。昨夜、流星がたくさん見えたと母が夜半に孫(即ち私の息子)に叫んでいたけど、曇り空だった。風がビュービュー吹いている。
今日は午前中に幕張に戻り、エステシティ海浜幕張の夏祭りの準備をしなくてはならない。この風、この空、大丈夫だろうか。
そうそう、昨日、木更津東映の前を車で通ったら、営業していないような気がした。というか、閉館したような雰囲気だった。実際のところどうなのだろう。ちょっと気になる。元々、いつおっつぶれてもおかしくないような外観だし。(笑)
それから、海鮮茶屋「活き活き亭」に行きそびれてしまった。つうか、中に入って、元気なお兄さんに出迎えられたのまでは良かったのだが、レジが大渋滞しているのだ。
同店のシステムは、自分で好きな魚介類をチョイスし、レジで清算してから自分で網の上で焼いて食べるのだ。アウトドア感覚がいい。九十九里のほうで冬場の海の家がやっているあの方式だ。
店自体は空いているのに、何故渋滞になっているのかさっぱり分からない。約10分待っても一向に進まない。私の前には約10人が並んでいる。たぶん、この調子だと3〜40分は並んだ状態が続くのだろう。そんなわけで断念した。がっかり。
仕方なく、実家で普通にメシを食って、ビールを飲んで我慢した。
写真上:カキ、ホタテ、ヤキソバ、などなどをプレートに載せて待っていたのだけど、順番が来なくて・・・。店内はそれほど混んでないので。下段の右は実家で食べたホタテの刺身。これはなかなか美味だった。
2010.8.14
お龍(真木よう子)
真木よう子は印西市の出身。役柄か、最初に(龍馬伝に)登場してきたときには陰気な雰囲気で、かつ、声も低いので、もうちょい愛嬌があってもいいんじゃない?と思った。でも、今は段々良くなってきている。単に俺が段々好きになってきただけかもしれない。美人だし。随所に可愛らしさが出てきている。演出家のうまさもあるのだろう。前回のストーリーでは、千葉サナに控えめなヤキモチを焼くような雰囲気がとてもよかった。
ストーリーは龍馬がなんとか薩長を結びつけるために苦労している場面。ますます目が離せない。
2010.8.14
墓参り
墓参りが好きな人は多い。そういうことを言うのは、そこそこ年配の方だ。だけど私も昔から好きだ。例えば、小学校の頃。母の実家の盆の時期の墓参りは、夕刻に一族が紋付袴の正装をして提灯行列をする。わくわくした。暗くなってくると、それがまるで狐の嫁入りの民話が浮かんでくるようだ。親戚一同が集まって、夜遅くまで飲む。私はお菓子やらスイカなどを食べながら遅くまで従兄弟と遊んでいた。
今は父の墓に年に数回行く。時間があればもっと行く回数が増えると思う。父の墓に行くと、敷地内の草むしりを小一時間かけてやってから、墓石を洗う。なんだかんだと30分からときには1時間くらい居る。お供えをして、でも、カラスが荒らすから、そのお供えは持って帰る。私が手を合わせている時間はほんの数秒だ。なんとなく照れくさいからだ。おそらく父も、そういうのは体裁だからあんまりやらなくてもいいよ、と言うだろう。
母は堂々と父と会話している。墓参に行くとまずは「お父さん、来ましたよ。」と自然に言う。本当にごくごく自然に言う。まるで自分の夫が生きていて、そして語りかけるように言う。見習いたいが、息子の私には出来ない。一通り掃除が終わり、手を合わせるのも私と異なり、母は5分くらいかけている。そして、帰るときには、「また来ますね。」という。盆のときには、「それじゃ一緒に帰りましょうね。」と言う。
墓前でそういうことを自然に言えるのって、素晴らしいことだ。生前、特に病気になる前の父を、母はいつも迷惑そうな顔をして見ていた。父もなんとなく、厄介な女だなとしか自分の女房を見てなかったと思う。でも、病気になってから死ぬまで、そして死んでからは父も母も愛しあっているのだと・・・、息子の私が言うのもなんだけど、そう思う。どうも、愛しあっているなんて言葉はこの齢のおやじの使える言葉ではない。
2010.8.14
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2010/8/14
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