[人間電送マシーン:第1話]

俺の名は、小野寺鯖男。
今年で三十路を折り返す。
サバオなんて、妙な名前だが、故郷の九十九里では、鰯(いわし)に並んでポピュラーな魚だから仕方が無い。
学生時代は名前のことで虐めを受けた。
何度か親に名前を変えるよう懇願したこともあった。
しかし、今では気に入っている。
親父もお袋もとっくにあの世に行ってしまった。
いまさら文句も言えまい。

俺は千葉市の幕張というところに住んでいる。
誰がそう呼んだのかは知らないが、電脳都市とか、サイバータウンと言われている。
つい数十年前は海だったところだ。
しかも、この辺りには不自然なくらい大きいインテリジェンスなビルが並んでいる。
国と千葉県が力を入れた新しい街だ。
しかし、不景気が続いたせいで、幕張の周囲は空き地が目立つ。
今や、都心の土地が下落したせいで、幕張に進出した企業も逆戻りする傾向にある。
俺の会社も幕張におさらばしたクチだ。
だから俺は、せっかく手に入れた幕張ベイタウンの分譲マンションから都内に通うはめになった。
職住近接が俺の最大の喜びだったのだ。
電車通勤は大嫌いだ。
あのムンムンとした満員電車に乗っているだけで吐き気がする。
誰しもがそう思うように、俺も鳥のように空を飛んで会社に行けたらなどと、通勤ラッシュに喘ぎながら、いつも夢のようなことを考えていた。
まさか人間がファックスを流すように電送できるなんて、この時は確かに妄想でしかなかった。


あれは、うだるような夏の終わりのことだった。
会社では、どうやらリストラが始まるようなことを言っていた。
朝から緊急役員会議が開かれていて、部長は会議室に行ったきり帰って来なかった。俺の席からやや離れた部長の席は、ご機嫌伺いに、その周りを取り囲んでいる課長クラスの人だかりがなく、いつもより静かな感じだった。
事務所の中では若い社員を中心に声を抑えながら、今後の人事などを予測したり、上司の噂話に花を咲かせていた。
中堅の社員になると、平静を装っていたものの、万が一リストラの対象に指名されやしないか、内心穏やかでは無いのだろう、積極的に話題に加わるようなことはしなかった。
俺は、自分の異動や上司が誰になろうが、まるで無関心だった。
会社が潰れようがクビになろうが、知ったことではない。
どうせ誰が上司になっても、トップが交代しない限り、うちの会社は良くならない。
それに、大手の銀行が介入しているような状態の会社には未練は無かった。
そんなことに構っている暇があれば、早いところ仕事を片付け、さっさと帰りたい。
このところ、厄介な仕事が溜まり、デスクの上は乱雑になっていた。
俺は、必死で仕事に没頭したいのだ。
誰にも相手にされたくない。

昼休みを過ぎても、部長は自分のデスクに戻らなかった。
その代わり、会議の関係で離席していた課長が戻ってきた。
課員の視線が集まる。
会議の結果を早く聞きたいのだろう。
それを課長も心得ていて、なかなか口を開かない。
いかにも誰かに聞いてもらいたい様子である。
俺は不器用なのか、こういう時に気が回らない。
まったく無視をして仕事を続けた。
俺の席は、課長の席から一番遠い。

席を決めた時に、この課で二番目に古株だった俺の特権でそうなったのだ。
おそらくそれは、出世したくないという意思表示だったかもしれない。
現に、積極的に課長のすぐ近くに座り、四六時中ゴルフ談義をしている後輩は、昨年から主任の肩書きになっている。
俺はもともとサラリーマンには向いていないのだ。
出世意欲も無いし、生活の向上も考えていない。
同じ利害関係にあり、目的意識を持ち、ほぼ同じ行動を余儀なくされるのは、もう学生時代で懲りていた。
加えて、企業は搾取する側とされる側に分かれている。
無能なくせに、タイミングが良かったのか、お世辞上手なのか、特定の人間が同期より数歩先に出ていて、そいつらが何時の間にか搾取する側にまわっている。
俺には理解できなかった。
そしてそれは、往々にしてプライベートまで侵害する。
もともと赤の他人だった筈の上司が、自分の人生に大きな決定権を持つようになるのだ。
俺はふと、窓の外を見た。

イメージ:鳩八月の終わりの太陽は、衰えることを忘れてしまったようだ。
容赦なく照りつけ、東京全体を灼熱地獄に陥れていた。
その見飽きた景色の中に、俺は一羽の鳩が目にとまった。
俺の席は、窓の景色を見渡すに最高のポジションでもあるのだ。
鳩は、道路を挟んだ向かい側のビルの、ちょうどこの事務所と同じ六階部分の手すりに止まって、しきりに首を動かしていた。
あんなところで何をしているのだろう。
仲間とはぐれてしまったのだろうか。
それとも、現実をまともに直視出来なくなって、仲間から逃げてきたのか。
鳥だってストレスを感じることがあるのだろうか。
まあ君等はいいよな、どこへでも逃げてゆける羽が付いているんだから。
いつしか俺も大空へ飛び出し、俯瞰で自分を眺めている妄想に耽っていた。
この約五百人の働いているビルだって、空から見れば、馬鹿らしいほどちっぽけな存在でしかなかった。


緊急役員会が終わったようだ。
廊下に出ていた若い社員が合図したのだろうか、事務所の中の雑然とした空気が一瞬緊張に包まれた。
俺の会社はパソコンの販売がメインの販社である。
出資比率は、親会社のメーカーが半分と、銀行関連が半分くらいから成り立っている。
昨今、パソコンブームは続いているものの、利益が下がる一方だ。
当社も際どいところに来ているのは明白だった。
毎日のように緊迫した会議が、いろいろな部署で開かれているらしい。

「小野寺君、ちょっと。」
課長が突然俺を呼んだ。
俺より年齢が二歳若い。
こいつに呼ばれるたびに、俺はムカツクのだ。
以前、一緒に営業部にいた時からの付き合いだが、奴の成績が常に俺を上回っていたので、何時の間にか俺の上司になっている。
しかし、それにしても、いつから先輩のことを君呼ばわりするようになったんだ。
「なんですか。課長。」

俺は、席も立たず、ぶっきらぼうに答える。
「悪いね、黒田部長が君に話があるみたいだ。ちょっと行ってきてくれないか。」
課長は、書類に忙しそうに目を通しながら言った。
俺は返事はしなかった。
だから万年平社員なのだ。
部長も部長だ。
話があるなら、そっちから来るのが筋というものだ。
部下だからと言って、自分が動かず人を簡単に動かすなんて、職権乱用もいいところじゃないか。

いつも俺に文句ばかり言う部長が、弱々しく俺に言った。
「小野寺君。長いこと迷惑を掛けたね。今日の役員会で決まったんだが、鹿児島に行くことになったんだ。まあ、体の良いリストラだな。向こうでは支店長の肩書きなんだが、この歳で単身赴任が勤まるかどうか。」
部長は泣き出しそうな気持を押さえるためか、遠くに見える東京タワーのてっぺんを見つめるように、俺の目線を逸らしていた。
少しは反省しているのだろうか。
毎日のように、俺を無能呼ばわりしていたくせに。
俺は疲れきったような部長の顔を見た。
確かに入社以来ずっと近くにいたような存在だった。
やや大柄で、どっしりとしているので、部長らしいと言えばそうかもしれない。
しかし、こいつは、俺が最も嫌いな搾取する側の人間なのである。
今更、同情なんてしてやるものか。

「しかし、やっと私も、君と同じ幕張に分譲マンションを買ったばかりだからなあ。喧嘩して会社を辞めるわけにはゆかんだろ。」
部長は戸外から今度は俺に目を転じ、何かを訴えているようだった。
俺は生返事をするしかなかった。
何を言わんとしているか、皆目見当もつかない。
「まあ君とは、偶然かどうか、近所だし。ん、その、なんと言うかな。とにかく、家族のことが心配なんで。そうだな。時々で構わないんだが、よろしく頼みたいのだが。」
「よろしく、というのは、どういう意味なんですか。」
俺は、ぶっきらぼうに答えた。
「うん、そうだな。私もこの歳で単身赴任だ。近所の体裁も良くない。もちろん、家族も心配している。そこで、うまいこと安心させてやりたいわけだ。」
部長は、かなり動揺しているようだった。
今まで有無を言わさず押し付けてくる強引さがあったのだが、今日は全く違っていた。
「おっしゃることは、だいたい分かりました。近所のよしみで、ということですよね。」
俺は何故か、怒りが込み上げてきた。
今まで俺の頼みをいっぺんでも聞いてくれたことが無かったくせに。
己のピンチになった時だけ、何かを頼んでくるというのはアンフェアだ。
だから、会社の上下関係が嫌いなのだ。

この部長は休日、近所で会っても、上下関係を匂わすような振る舞いをする。
俺は地元では、会社のことなど、一言も口にしたことが無いのに、路上でも平気で仕事の話題を持ち出すのだった。
俺たちのことは、町内でも上下の関係があるということを誰もが知っている。
「何度も考えたんだが、いきなりだろ。会社を辞めて、どうのってね。もう少し取り得のある人間だったら潰しも効くのだけどな。」
部長は自嘲気味に笑った。
ふん、人のことを散々取り得が無いと罵っていた男が、まったく良く言う。
俺は、忙しいと言い残して、早々に自分の席に戻った。
全く同情の余地は無い。
自業自得なのだ。
席に戻って窓の外を見たら、既に先ほどの鳩はどこかに飛び去っていた。


九月になっても残暑は続いていた。
きっと、地球の温暖化のせいだろう。平年よりも暑い日が続いていた。
昨夜も、ベイタウンの入り口のローズベイ・ハーツというイタリアンのお店で飲んで家に帰ったが、あまりの暑さに眠れなかった。
クーラーをかけるのを妻が極端に嫌がるのだ。
ひとつは、経済的な理由でもある。
少しでも早く住宅ローンを返済するのには、日ごろの節制が肝心という理論を妻は信じている。
お陰で事務所にいても、寝不足で仕事に集中できない。
部長は暫く、退職するのしないのと、もめた挙句、鹿児島へ行ってしまった。
一般社員の二倍はあるだろう、大きなデスクが忘れ去られたように、ぽつんと置いてある。
あと数日で、どこかの銀行の幹部が来て、そこに座るらしい。
うちの会社も完全に落日なのだ。
他所の会社の人間が来て、いきなり俺たちに命令するのだ。
いい迷惑だ。
首がすげ変わっても、搾取する人間に違いない。
だが、以前のような無能呼ばわりをされない為には、早々から牽制球を投げておいたほうが良いだろう。
とりあえず、同僚と結託し、いい気にさせないことだ。

デスクの上には、古ぼけたパソコンが置いてあった。
親会社の製品だが、機種が古く、スタンドアロンのようだ。
部長は、暇さえあれば、このパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。
ひょっとして、彼の人格そのものではないか。
慌てて鹿児島に行ったから、パソコンを忘れていったのだろう。
いいや、そうではない。
どうやら鹿児島ではパソコンを必要としないのだ。

俺は、休憩時間を利用して、そいつに火を入れてみた。
こいつのせいで、俺たちの成績が咎められたのだ。
部長ときたら、馬鹿のひとつ覚えのように、エクセルの古いバージョンで数字を叩き、そして俺たちを叩きのめす。
成績を管理しているだけで部長の威厳を示すなんざ、一般社員の倍は貰っている給料泥棒以外の何者でもない。

俺は何気なく、インターネットのブラウザを立ち上げ、お気に入りのフォルダのリストを眺めた。
いわゆるブックマークというやつだ。
文字通り、自分の気に入ったホームページに繋がるショートカットが収められているのだ。
言わば、インターネットの履歴が意図的に保存されているようなものなのだ。
これを見れば、普段部長が何を見ているのか、どんなものに興味があるのかが分かる。
ふん、くだらねえ。
なにが、中年バンドだ。
もう、初老じゃねえか。
ぶつぶつ言いながら、中年バンドと称すそのフォルダを開いてみた。

イメージ:第1期中年バンド部長は、若い時にバンドを組んでいたと言っていた。
直接は見ていないが、町内の祭りの時、地元のアマチュア音楽家たちとバンドを組んで、三十年ぶりに人前で演奏を披露したらしい。
どうやら、彼らの仲間が運営するホームページのようだ。
音楽そのものに、興味は無かったが、部長がどんな活動をしていたのか、覗いてみたいような気がした。
まるで、故人の遺品を調べているような気分だった。
俺は早速、回線に接続してみた。
スタンドアロンなので、勝手に接続しても分かるまい。
しかも、部長は、遠く離れた鹿児島にいる。


夜になった。
その日、俺は遅くまで残業することにした。
休憩時間に見たホームページが気になったからだった。
どうしても今日、もう一度調べてみたかった。
ここ数年、残業など一度たりともしたことがなかったので。残業理由には、相当戸惑った。
不思議がる同僚が次々に退社するまで、俺はひたすらデスクに向かい、本来なら、まだ余裕のある仕事を片付けていた。
時刻は、夜の九時半過ぎ。同じフロアの最終退出者となった俺は、自分のデスク近辺だけの明かりを残し、あとは消灯した。

夜の会社は、昼間の慌しさが、嘘のように静まり返っている。
昼間は気付かないエアコンの排気音がやけに大きく聞こえた。
これから秘密めいたことをやるのには十分過ぎる環境だ。
周囲のビルも少しずつ消灯し、緑の非常灯がぼんやりと闇を照らしていた。
気が付くと、昼間の鳩が同じところで羽を休めていた。
俺のほうを見ているようで、気持ちが悪い。
昼間の楽しい公園が、夜になるのと不気味な雰囲気になるのと同様だろう。
夜のオフィス街もまた、あまり良い雰囲気ではない。
俺は、意を決して、部長の席に移動した。
パソコンのスイッチを再びオンにする。
カリカリと大きな音を立て、ハードディスクが回る。
ファンの音も、異常なくらいに響く。
画面が明るくなり、俺は昼間の通り、”中年バンド”と書かれたフォルダを開き、そして中年
バンドのホームページに繋がるショートカットをクリックした。
なかなか良く出来たページ構成だ。
中年バンドの概要や、活動報告が載っている。
そして、部長がなにやら大きなギターを抱えて演奏している写真まである。
このページの階層の深いところまで、何度かクリックして潜ってゆくと、”秘密のスタッフページは、こちら”と、書いたところに行き当たる。

昼間は、そこまで見てみた。
そこに、”人間を電送する方法”というボタンがあった。
クリックすると、”パスワードを入れてください。”というダイヤログボックスが立ち上がり、ここから先に入ってゆくことを拒絶される。
昼間見たとき、このパスワードが、どうしても気になったのだ。
おそらく、相当重要なことが書かれていることに違いない。
なぜなら、人間を電送などという三流SF小説のようなタイトルは何かを誤魔化す為だし、パスワードを設けて一般の人間が閲覧できない工夫がしてあるのも不思議だ。

何度目かのトライを繰り返して、俺は、パスワードを解明するのを諦めかけていた。
部長の生年月日、住所、名前をひっくり返したもの、入社月日など、ありとあらゆるものを打ってみた。
しかし、次の扉は開かないのだ。
まさか、奥さんや、子どもの生年月日までは調べていなかった。
浅はかであったか。
時刻は、とうとう十一時を回ってしまった。
隣のビルの一室から漏れていた明かりも消えたようだ。
この広い東京に、自分だけが取り残されているような気分になる。
エアコンは効いているが、背中を汗が伝わるのを感じた。
俺は、次に、このパソコンの履歴を調べてみた。
いくらパスワードが設けてあっても、履歴を辿ることで、その先にあるページのURLが残っている筈である。

俺は、再び真剣に画面に向かい、ひたすらマウスを動かした。
駄目だ。
何処にも無い。
何のために俺は、こんなに遅くまで会社に残っていたのだろう。
悔しかった。
手にしたマウスを机に叩きつけ、俺はタバコに火をつけた。
優秀なハッカーだったら、この程度のパスワードなんて、すぐ解明するんだろう。
俺はやはり、ワルにもなれないのか。
画面の中のギターを持った部長が、こちらを見て、ほくそえんでいるように思えた。
その時、画面が急にスクリーンセーバーに変化した。
見慣れない画面だった。
おそらく、海外の製品だろう。
細かい文字が次々に画面を流れてゆく。
最初は気にならなかったが、俺は、その文字を追いかけてみた。

“sinkemigawa makuhari sinkemigawa”という二つの単語が交互に出てきた。
まさしく、"新検見川"と"幕張"という地名だ。
俺は、再びパソコンに向き直った。
立て続けに、その二つの地名をキーワードを入れるボックスの中に入力してみた。
アンダーバーを入れたり、外したり、あるいは反対から打ってみたりした。
これも反応が無い。
しかし、おそらく近いところまで行っているに違いない。
俺は、普段部長がへんてこな唄を口ずさんでいるのを思い出した。
確かオリジナルで、新検見川ブルースという曲を作ったと、聞いたことがあった。
ひょっとして・・・。
>>>>>つづく

人間電送マシーン・・・、この物語のつづきは貴方にお任せいたします。

◇リレー小説・人間電送マシーンPart1◇
第2話へ

―人間電送マシーンは、毎回の続きを読者からの寄稿で構成するリレー小説です。―
あなたも人間電送マシーンを書いてみませんか?詳しくはshibazax@mb.infoweb.ne.jpまで

Copyright(C) 2000-2001Oretachi'sHP All rights reserved.
oretachi@ml-c6.infoseek.co.jp

幕張ベイタウンライフ満喫マガジン「俺達のホームページ」バナー第2段。リンクフリーです。リンクの際はご一報戴ければ幸いです。