折角、素晴らしい橋も出来たのに、ここが賑わうのは、潮干狩りの春だけになってしまった。かつては、この下をフェリーが通り、橋の上には、多くの観光客が行き来した。大きな期待を背負った念願のアクアラインが通過したのは、良いけれど、木更津は通過点になってしまった。(2001.01.01
撮影) |
ここが、カーフェリーの発着場所。今は当然のことながら使われていない。フェリーが就航していた時には、手前に大きな待合室を兼ねたみやげ物屋が2つあった。カーフェリーは、川崎行きの日本カーフェリー、横浜行きの東京湾カーフェリーの2社が運営に当たっていた。 |
鎌倉時代から栄えた港だったという。現在は土石等の運搬がメインの準工業港。だが、扱い量は年々低下している。 |
|
<左>今は無きダイエーのあった木更津東口商店街。今、ダイエーは一旦閉鎖になった後、オワリヤという地元系のスーパーに生まれ変わった。
<上>木更津の観光資源のひとつである潮干狩り。
|
千葉真一やハマコーさん、中尾彬さんなど著名な人物を輩出した木更津高校。下は、正門を入ってすぐに現れる体育館。私が卒業してから出来た。壁面に「木更津高校・開校100周年」と書いてある。なぜかしらないが、寄付金集めもやっている。
|
左は、昨年11月に閉店してしまった「そごう」。木更津駅を降りると、西口の目の前にある。この建物ができる前には、大きな建物が無かったので、住民は期待したもんだが、今はひっそりとしている。右は木更津駅。この向こう側、つまり東口には、ダイエーがあり、かつて私もお世話になっていたが、この2月で閉店が決定した。(2001/01/01) |
それからの木更津
そごうが撤退した後に、周辺は案の定活気が無くなってしまう。続いてダイエーの撤退、Dマートの撤退と、市内の主だった大型スーパーが消えてゆく。そごうに店舗を提供していたアインスビルは、テナントの確保が困難になり、第3セクターだったが、倒産。ダイエーが入っていた店舗には地元系のスーパーがやっと入った。須田市長も辞任し、なんかこのところ、ぱっとした明るいニュースに欠けている。(2002/05/02)
矢那川沿いの桜
今年は、観測史上もっとも早く桜が咲いたという。右の写真も3月21日時点で撮影したもの。この時、既に散り始めていた。 |
|
|
君津中央病院
山の上にひっそりと建つ病院。といっても、君津郡市では一番大きな病院だ。私の父も癌で闘病し、そしてここで生涯を終えた。実は、この写真の左手奥に新病棟が建築中である。中央下に3人の作業着を着た人間がいる。もちろん、工事関係者。
新病棟は、とにかくでかい。今までの2倍くらいの規模があるのではないだろうか。病院が大きくなってゆくことは悪いことではないのだが、商工業の落ち込みに反比例しているようで、なんとなくすっきりしない。
(2002/04/13) |
木更津高校前の通り
なんでもない田舎の通りだが、我々にとっては思い入れのある通り。この道の突き当たりは海だ。少年の頃、この道を通って木更津港近くのプールに行った。
通常学校の近くだったら、もっと栄えてもいいようなもんだ。ところが、少なくとも30年の間、劇的な変化は起きていない。手前の「パンチャンフード」と書かれた惣菜屋が出来たくらいか。最近になって、コンビニがようやくオープンした。(2002/04/13) |
|
|
街なかに残る廃屋
こちらも木更津高校のすぐ近くなのだが、こんもりした森の中に佇む廃屋。別にオーナが夜逃げしたわけではない。だが、こうした誰も住んでいない家が多くなったような気がする。古い一戸建ての貸家など、比較的駅に近いところでも目立つ。それから、空き地。バブルの頃、せっせと田畑を埋め立てし、住宅用地にしたのは良いが、いつの間にか砂埃の舞う駐車場兼資材置き場になっている。あるいは、草ぼうぼうの荒地のどちらかだ。 |
平日昼間の木更津駅・東口
実質的には、木更津の中心部となった東口の商店街。ダイエー閉店後はシャッター通りなどと揶揄されたりしていたが、商店会も必死で再生を賭ける。この撮影の日(2002年5月14日)は、平日だった為、両側4車線の大通りはご覧のように殆ど人通りも無く、車も走っていなかった。写真中央の看板は、元ダイエーのビル。
|
|
|
「あかちょうちん」と「房洋堂」
駅西口の弁天神社の近くにあり人気を誇っていた「あかちょうちん」は、今でも健在。東口店(写真)も連日大盛況。今から15〜6年前には、私が木更津に戻ると必ずといっていいほど、ここに寄った。魚料理がうまい。その隣にそびえるのは、房洋堂。菜の花まんじゅうがお薦め。(ネーミングがあっているかどうか分からない。)菜の花に見立てたカスタードクリーム??がなんともいえない。卵黄の風味を出したところは、あの銘菓「萩の月」を彷彿させる。 |
太田山公園と「恋の森」
全国どこにでもありそうなヤマトタケルノミコトの伝説に基づいた公園。標高50mにも満たないような小さな山だが、市民の憩いの場であり、電車から見えると古里の山という感慨深いものがある。頂上近辺には、約17〜8年前??に建てられたモニュメント兼展望台があり、晴れた日には富士山や東京、横浜の景色も見渡せる。この山の頂上付近は恋の森と言われ、前述のヤマトタケルが、東京湾に身を投げたオトタチバナ姫を偲んでいたとされる。 |
|
|
橘通り
現在の東口駅前通りが出来るまでは、ここが駅前通りだった。中央に見える山は、太田山。この手前で旧国道127号線にぶつかる。今は、バイパスが太田山の向こう側を通り、市内への車の流入も少なくなったので、この橘通りも閑散としている。橘通りの由来は、もちろん、前出の「オトタチバナ姫」なのだろう。しかし、古代のロマンとは裏腹に、この道はそういった風情もなく、殺風景きわまりない。この通りに面した大きな榎本病院(手前右手)も今は廃屋になっている。
撮影:2002年5月14日 |
●「木更津キャッツアイ」というテレビ番組は、如何でしたでしょうか。
私は、一回だけしか観ませんでしたが、あんまりよく分からなかった。(苦笑) |
< 前のページ しばざ記 INDEX-01 次のページ > しばざ記TOP
しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記 しばざ記
|