天国へ旅立つQPさん
お通夜に行ってきました。
あまりにも急だったことで、弔問に訪れる人は多いとは言えないのですが、それでも幕張界隈で活躍されている方々をはじめ、ネットで知り合いになった方々が駆け付けてくれました。
きりんさん(故人の夫)は、落ち着いていました。QPさんが、ここ半年に及ぶ入退院の繰り返しで大変だったと聞きます。
QPさんの死に顔はとても綺麗でした。元々化粧をしない人だったので、ちゃんと化粧をしたのを初めて見ました。少しふっくらとしているので、その顔はまるで十代のように見えます。遺影にも結婚式の時の写真が飾られてました。化粧をしているのは、それだけです。我々が知るQPさんじゃなく、旦那しか知らない彼女がそこにいました。
それにしても、36歳はあまりにも若く儚い死でした。才能溢れる方でしたから、まだまだやり残したこともあるはずですが、意外にも病気になった昨年8月頃より、一種の死に対する悟りを開いたそうです。死を全然恐れていないどころか、自分の死を想定した文筆活動を始め、その中で「自分はやりたいことをやったので、いつ死んでも悔いはない。」と書いています。
その一方、根っからの楽天家で体調を崩してもなかなか病院に行こうとせず、また病気が発覚した後も自分は絶対に死なないと考えていたようです。一旦、快方に向かい、退院した後は、医者から貰った薬を使わず、里芋の輪切りを痛い背中に貼ったりと、自然治癒を信じていいたと聞きます。自分は絶対に死なないという強い決意は、死の直前まであったそうです。
2月1日の夕方(6時少し前だと聞いてます)。日中元気できりんさんに向かって冗談も出るくらいだったQPさんの容体に突然変化がありました。唇がどんどん白くなってゆき、だんだんと焦点が合わなくなってきたそうです。きりんさんには、QPが一生懸命に死と闘っているのだと分かりました。でも、あれほど死なないと言ってたQPさんも死に直面し、観念して、「ごめんね、ごめんね、ごめんね。」と何度も繰り返しました。それが最期の言葉です。
気丈だったQPさん。入院しても弱音を吐かず、旦那を叱り飛ばしていました。ただ、薬の副作用で毛が抜け始めた時には、さすがに女性だけあって、きりんさんに「いいカツラ見つけてきてね。」と言っていたそうです。それほどではなかったので、毛糸の帽子を買ってきたところ、大変気に入っていたとか。棺の中のQPもその帽子を被っておりました。とても似合ってました。
QPは生前から出来る男は駄目だ。私はきりんみたいに駄目な男が好きと言ってました。そのくせ、きりんさんには何かと駄目だ駄目だと罵り、周囲には「きりんは酒が飲めないからつまらない。」と言っておりました。きりんさんはそんな彼女を暖かく受け止めていました。QPが選んだだけの男だったのです。最期の「ごめんね。」が、最愛の夫に対する精一杯の気持ちだったのです。
さて、通夜が明けて、いよいよ今日は天国に旅立つ日となりました。残念ながら私は立ち会えないのですが、遠くから幕張の空を眺めています。薄曇りで比較的暖かく、春を予感するようなお昼時です。12時から告別式、そして13時に出棺の予定です。QPさんが天国に行くのは14時から15時の間でしょうか。それとも、故郷の熱海の海を眺めてからでしょうか。まもなく、告別式の時刻です。
2004年2月3日 午前11時50分 |