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世羅譲さん死去


またジャズ界は偉大な人物を失ってしまった。
私が世羅さんを語るのはあまりにも失礼な話だが、ジミー竹内との繋がりから、世羅さんのライブへは何度となくお邪魔した。ピアノの詩人だと言われるように、ふんわりとした音色が人柄を物語っていた。私は結婚してからライブハウスへ行くのがめっきり少なくなった。世羅さんを見なくなってから、もうかれこれ6、7年は経っているだろうか。つい、2、3年前まで六本木のバードランドなどのスケジュール表に名前が載っていたのを思い出す。その頃から癌だったとテレビで報じていた。癌の宣告を受けても音楽活動を続けていたのだ。故松本英彦氏といい、故日野元彦氏といい、ジャズの大御所は壮絶な最期を遂げている。ジョージ川口氏が亡くなったのも記憶に新しい。もちろん、ジミー竹内も2度に渡る脳梗塞と闘い、今、再起を賭けてリハビリ中である。
ところで、世羅譲さんの写真をたまたま先日スキャナーしていた。私は手の空いているときに、古いアルバムの写真をデジタル化するのがひとつの日課になっているのだが、たまたま1990年の夏、品川パシフィックホテルで開催されたジミー竹内の還暦パーティーの写真が出てきた。その中の1枚に世羅さんのアップがあった。後にも先にも私が世羅さんの写真を撮ったのはこの1枚だけである。本来はジミーの写真を撮らなくてはならなかったのだが、この日主役のジミーの周囲にはにわかカメラマンがたくさんいて、近寄り難かった。逆に、静かに飲んでいた世羅さんに私はなにか惹かれるように、近付き、写真を撮らせてもらった。「写真を撮らせてください。」「どうぞ、どうぞ。」会話はそれだけだったような気がする。それまでライブハウスで世羅さんの近くにいても、殆どジミーの親衛隊の方々に囲まれて、世羅さんとお話しする機会がなかなか無かったので、私は大いに照れていた。その1枚が上の写真である。どうぞ、安らかにお休みください。

(2004年2月17日 Zaki)






サウンド・イン・Sで共演していた伊藤ゆかり
90年7月1日 ジミー竹内還暦パーティー(品川パシフィックホテル)



以下は、世良さんの死去を報じた各メディア。




戦後ジャズ界の大御所がまた…世良譲さん逝く
戦後ジャズ界の大御所がまた…世良譲さん逝く(写真提供:産経新聞社)

 ダンディーな風貌に軽妙な話術、高度なテクニックで音楽番組やCMなどでも活躍したジャズピアノニスト、世良譲(せら・ゆずる、本名哲壮=てっそう)さんが17日午後2時19分、多臓器不全のため東京都品川区の病院で死去した。71歳。昨年の歌手の笈田敏夫さん、ドラマーのジョージ川口さんに続き、戦後ジャズ界の大御所が、また一人逝った。

 世良さんは2年前から胃がんで入退院を繰り返していたが、「ピアノを弾きたい」と東京・六本木のライブハウス「バードランド」を中心に演奏を継続。昨年大みそかの東京・帝国ホテルでのディナーショーが最後のステージになった。

 昨年11月、親友・ジョージ川口さんの葬儀では「おれも、近くいくからな」と冗談まじりに話していたといい、関係者らは「現実になってしまうとは…」と衝撃を隠せない。葬儀の日取りと喪主は未定。

[ 2004年2月18日13時0分 ] 夕刊フジ




世良譲氏=ジャズ・ピアニスト

 ジャズ・ピアノの大御所、世良譲(せら・ゆずる、本名・哲壮=てっそう)さんが、17日午後2時19分、多臓器不全のため亡くなった。71歳だった。告別式の日取りと喪主は未定。自宅は神奈川県鎌倉市大町1の16の6。

 島根県出身。明治大学在学中の1950年からプロ活動を始め、奥田宗宏とブルースカイ・オーケストラなどに在籍して頭角を現した。59年に白木秀雄クインテットに加入。65年にベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演して、国際的にも注目された。

 60年代後半からは、ソロや自己のバンドを率いて活躍。スイス・モントルーなど、海外の名門ジャズ祭にも数多く参加した。

 74年から7年間、TBSの音楽番組「サウンド イン S」に出演し、軽妙な語り口で広く親しまれた。2000年秋には50周年記念公演を成功させた。

 昨年、日本ジャズ界最大の栄誉とされる南里文雄賞を受賞。一昨年春から入退院を繰り返していた。

[ 2004年2月18日11時41分 ] 読売新聞




ジャズピアニストの世良譲氏が死去

 ジャズ・ピアノの大御所、世良譲(せら・ゆずる、本名哲壮=てっそう)さんが17日午後2時19分、多臓器不全のため東京都品川区の病院で死去した。71歳。粋な演奏と巧みな話術でテレビ、ラジオでも活躍した第一人者。2年前から胃がんなどで入退院を繰り返したが「ピアノを弾きたい」とライブを続け、昨年12月31日のディナーショーが最後のパフォーマンスになった。

 昨年相次いで死去した歌手の笈田敏夫さん、ドラマーのジョージ川口さんに続き、戦後ジャズ界の巨星がまたひとり亡くなった。

 世良さんが胃がんを告知されたのは2年前。入退院を繰り返したが、レギュラー出演していた東京・六本木のライブハウス「バードランド」を中心に演奏を続けた。

 同所での最後のライブは昨年12月17日。体調がひどく悪化した直後だったが「世良譲トリオ」で出演。鬼気迫る演奏に客席は水を打ったように静まり返った。

 世良さんと30年の親交がある同店の太田紀美子オーナーは「楽屋では苦しそうにずっと寝てました。それがピアノの前に座ると背筋が伸びて。本当に命を鍵盤に叩きつけるような感じでした」と振り返る。最後の演奏は大みそかに行った東京・帝国ホテルでのディナーショー。事務所関係者によると「とてもつらそうだったが、ピアノの前ではさっそうと座り、スマートな素晴らしい演奏だった」という。年明けにはすぐに入院。文字通り、命を懸けてステージに立ち続けた。

 島根県生まれ。5歳からピアノを習い始め、明大在学中に米軍キャンプなどでジャズの演奏活動を始めた。65年には日野皓正らとともに白木秀雄クインテットの一員としてベルリン・ジャズ祭に参加した。

 豊富なレパートリーでテレビ、ラジオの音楽番組、CMなどでも活躍。洗練された演奏とユーモアあふれる軽妙な話術で幅広い人気を得た。00年にデビュー50周年を迎え、昨年には日本ジャズ界最大の栄誉とされる南里文雄賞を受賞した。

 葬儀の日取りと喪主は未定。


[ 2004年2月18日7時0分 ] スポーツニッポン




<訃報>世良譲さん71歳=ジャズピアニスト


 詩的で優しく、温かみのある演奏で親しまれ、テレビにも出演して一般にも知られたジャズピアニストの世良譲(せら・ゆずる、本名・哲壮=てっそう)さんが17日午後2時19分、がんの全身転移による多臓器不全のため、東京都品川区の病院で死去した。71歳。葬儀は近親者のみで行う予定。自宅は神奈川県鎌倉市大町1の16の6。喪主は長男隆(たかし)さん。

 島根県の医者の一家に生まれ、小学1年からピアノを習い始めた。クラシックを学んでいたが、明治大在学中に米軍キャンプなどでジャズピアノの演奏活動を開始した。

 佐久間牧雄らのグループや白木秀雄クインテットに加わった後、フリーに。ジャズクラブで演奏するかたわらテレビ番組やCMにも出演。スマートで洗練された演奏とユーモアあふれる軽妙な話術で、ジャズファンを超えて大衆的な人気を集めた。ベルリンやスイス・モントルーなどのジャズ祭にも出演した。

 2年前から入退院を繰り返し、昨年12月31日のディナーショーが最後の公演になった。


[毎日新聞2月18日] ( 2004-02-18-00:44 )


しばざ記 Vol.64


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