暦の上では秋。まだまだ暑いけど、旧暦では秋なのである。なんじゃそりゃ。
深夜に鳴く蝉の悲しさよ
8月20日の午前0時。いきなり、つくつくぼうしが勢いよく鳴き始めた。驚いたのは私だけではない。犬も驚いて吠えている。
私は19歳の時、都内で独り暮らしを始めた。田舎者が都内で生活すると色々な驚きがあったが、夜鳴く蝉にも驚いた。しかし、午前零時に鳴く蝉はたぶんいなかったと思う。
あんまり関係ないけど、室生犀星という詩人の「なんといふ虫かは知らねど、時計のはりの冷たきに、つうと鳴く。もの言えぬ虫の悲しさよ。」(だったっけ?うろ覚えで、途中創作が入っちゃってるかもしれません。お恥ずかしい)という作品が頭に浮かんだ。
今日で8月も残すところ約10日。この時期の蝉はなんか可愛そうな気がする。ベイタウン中年バンドのケリー女史は、蝉の生態に詳しいのだけど、8年も土の中にいて、成虫になった途端に余命が一週間になってしまうという。どうせなら、もっと華やかな盛夏に出てくればいいものだと思うのだが。
鮭もそうだけど、子どもを産む為に大変な思いをして川を遡り、そしてボロボロになって死んでゆく。蝉も雌を呼び寄せる為にあんなにでかい声で鳴いている。私の実家の目の前に屋敷森のようなものがあって蝉がミンミン鳴いているのだけど、朝、抜け殻につかまって、これから飛び立ってゆこうとしている蝉の姿を見ることが出来る。同時に眼を下にやると、既に役割を終えた蝉の死骸に蟻がたかっている。
虫のサイクルで考えればごくごく普通のことなんだろうけど、あまりにも儚い。あるいは、まだ役目も果たす前に、でっかい蜘蛛の巣に引っ掛かって、もがいて、逆にぐるぐる巻きになっている蝉もいる。案外、人間も五十歩百歩なのかもしれない。が、そんな風に考えるのもあまりにも悲しいので、人生は長いのだ、という決まり文句で誤魔化しているのだ。
2005/8/20 |
最初はたかだか十数センチくらいのロケットだった
ペンシルロケット展
一日前の話になるが、8月19日(金)は本来休日じゃないのだけど、幕張メッセで息子を連れてゆきたいイベントがあるので、無理やり急な夏休みをとった。それが「ペンシルロケット展」で、先日のシャープのビルで催された親子イベントで色々宇宙のことを教えてくれたJAXAの主催である。
ペンシルロケットというのを耳にしたことが無かった。ようするに鉛筆みたいなロケットなのだ。1955年、すなわち今から50年前に、日本のロケットの父といわれる糸川博士が、このペンシルロケットを使って、様々な実験をしたのである。最初は、まったく本当に鉛筆そのものだった。それが次第に大きくなり、そして日本でも人工衛星を搭載して打ち上げられるようになったのである。
その初めてペンシルロケットの水平発射実験が行われてからちょうど50年。「ペンシルロケット展」はそれを記念したイベントなのである。タイトルに50年に一度のイベントとあった。次に催されるのは50年後。私はとっくに他界している。息子だっていい歳になっている。でも、そういうインタバルのイベントがあっても面白い。なんか百年に一度の天体ショーなどというキャッチコピーで流星群だの皆既日食だのがあるけど、一度見逃したら今生で見られないというのは、相当緊迫感がある。
このイベントに行ってよかった。(しみじみ)
8月20日、つまり今日は、さっきまで2番街のお祭りに行ってた。自治会と管理組合の主催で、かなり盛大だった。生ビールがうまかった。その前、というより午前中にはバンドの練習があって忙しかった一日だ。しかし、充実していた。
2005/8/20 |
清原が出なくなった途端に強くなった巨人
清原は巨人に不要の選手か
まずお断りしておく。私は巨人のファンだし、清原も嫌いではない。でも、以前から、少なくとも清原が入団してきたときから巨人に清原は不要だと思っていた。確かにあれだけの選手だ。落合のホームラン記録も抜かしている。年俸が高くったってそれだけの実績と人気があれば当然だろう。
元高校野球(甲子園経験者)で、しかも、清原のことをよく知っている知人がいる。彼もまた当初から清原不要論をあげていた。今はどうなのか分からないが、西武からトレードしてきて、1〜2年の間は、ごく一部の清原と仲の良い、あるいは清原に可愛がってもらっている選手を除いて、選手は清原とは距離を置いていた。実績も知名度もある鳴り物入りでトレードしてきた選手に対して周囲が腫れ物に触るように扱うもんだから、他の選手と溝が出来ていたのだ。不振の時だって、まったく頼りにならないのに、怪我さえ治ればスタメンに即起用だったりと、監督さえ、彼を優遇しているのだ。
経営ということまで考えると、そう簡単に手放せないのかもしれない。年俸はべらぼうに高くったって、500本塁打達成のあたりにはテレビ視聴率もぐんと上がったはずである。それに清原が出てこない試合は確かにつまらない。どうせ三振かピッチャーゴロだろうと思っても彼がいないとつまらないのである。今期、数年の中では珍しくホームランを連続して打っていた時期もあった。今度こそはと思ったものの、案の定、また怪我(以前痛めていたところを手術)でシーズン途中から消えた。まあ、打率が打率だけに、例え怪我が原因でなくとも打線が切れるから、私としては一刻も早く引っ込んでもらいたかった。
強い巨人を目指すなら清原を外すしかない。(これが結論)
去就が囁かれている今になって、しかも個人のページにこんなこと書いてもまったく意味が無い。同じことを発言している人の二番煎じ、三番煎じになってしまっているだろう。その全く別のご意見もあろう。また、アンチ巨人ファンの方にとってはどうでもいいことだ。独り言だと思ってご容赦頂きたい。
今後巨人は、もっと生え抜きの選手に力を注げ。大成して、年俸がぐっと高くなり、どちらかというと、下降気味の選手を取るのはもうやめてくれ。落合が入ってきたときあたりから明らかに以前の巨人とは違ってきている。小久保も嫌いじゃないけど、ダイエーにいるときの小久保のほうが好きだった。あ、でも、大投手金田が巨人にトレードしてきてから、巨人の体質はそんなものだったんだっけ。
さて、野球ネタは置いといて、と思ったのに、ちょっと気になるニュースがあった。
第87回全国高校野球選手権大会(日本高校野球連盟、朝日新聞社主催)で57年ぶりの連覇を達成した駒大苫小牧高(北海道苫小牧市)で野球部の部長(27)が部員を殴るなどの暴力を加えていたことが22日、明らかになった。今大会前には明徳義塾高(高知県)が部員の暴力と喫煙が発覚し、出場を4日に辞退したばかりだった。駒大苫小牧高側も暴力を加えた事実を認めている。(毎日新聞)
うーむ。またかよ。というニュースだ。ここだけ読むと、いかにも悪い部長だ、という気がするが、
読売新聞では、「ミスをしたのにも関わらずふざけていたので注意したら、反抗的な態度をとったので、平手打ちをした。」と書いてあった。現場のことはよく分からない。暴力は絶対にダメ、という見地に立てば許されないことだが、言っても聞かないときには痛い目に合わせるくらいのことはあってもいいことだと思う。先生が注意して、それでもへらへらしているというのは昔もあったことだ。だけど、最終的には先生の鉄拳を恐れていたため、滅多なことでは反抗的にはなれなかった。暴力はいけないことだろうけど、今の生意気な生徒はどんどん生意気になる。
さらにこんな記事が載っていた。
スポーツジャーナリスト・二宮清純さんの話 暴力行為はあってはならない。野球部のみならず、体育会の指導は「少々の暴力はいい」「愛のムチ」という考えが残り、暴力に対する神経がまひしている。今回の大会は、(明徳義塾高の)暴力に始まり(駒苫の)暴力で終わった。事実を速やかに報告しなかった駒大苫小牧高にも批判が集まるだろうが、大切なのは高野連が「暴力追放宣言」を出して、トップから襟を正すことだ。(毎日新聞)
そりゃそうかもしれん。さすが二ノ宮。立派なことを言う。そりゃ、言うことをきかない生徒にはどんどん暴力を振るいましょう、なんて言う奴はいない。彼はスポーツジャーナリストといっても、データ重視の単なるオタク野郎じゃないかという気もしないでもない。
一般社会の常識でも、スポーツの中においては当てはまらないことがたくさんある。そのひとつが精神論だし、気合を入れるための一発だと私も考えている。ま、力加減の問題もある。青あざになってしまうようなものはやめたほうがいい。そうか、今の先生は殴られたこと自体が無いから殴る場合の加減も分からないか。それに、やっちゃいけないことだらけの先生という職業も大変だな。だんだんうるさくなる世論と、先生の質の低下にはなんだかの因果関係があるように思えてならない。
トップの襟を正せなんて、道路公団を語ってるわけじゃないんだし、スポーツ団体の組織論を語っているわけでもない。後を絶たない暴力事件の元凶をちゃんと分析しているのか、と言いたい。頭のいい先生だったら暴力を振るっちゃいけないことくらいしっかり分かってる。それにも関わらず、何故暴力を振るっているのか。あるいは生徒が先生に暴力を加えている場合もある。私は、注意を受けても素直に反省するどころか、反抗的な態度を取る生徒を平手打ちしただけで、たちまち全国ネットで流され、暴力反対と叫ぶ多くのジャーナリストの餌食にされることがまず一番よくないことだと思っている。
いずれにしても、低年齢化している(というイメージ?)凶悪犯を減らすような教育の歪み(必ずしも教育だけが犯罪を抑えるというわけではないが)。これはなんとかしてゆかないと。(おっと、話が飛躍してしまったか・・・)
少なくとも、郵政民営化に賛成・反対ということに終始して(もちろん、それも大事な問題だけど)の選挙じゃなくて、教育問題や福祉のことや、対アジア問題などの基本政策がきちんと出来ている政治家を選ぶことも大事なことなのである。
2005/8/23 |
楽しいこといっぱいの2番街のお祭り
祭りの主催者は、大変だけど、
おもしろい!?
パティオス2番街のお祭りに行った。内容盛りだくさんで、楽しかった。主催者(2番街の自治会と管理組合)はみんないい人。でも、主催者側になることが何かと多かった私としては、つい大変だろうな、ということも同時に思ってしまう。私が嫌な思いをすることは、少なからずも祭りを開催することを快く思っていない人と対立してしまうことだ。そりゃ、うるさいし、臭いの問題など色々ある。特に今回はPAを使ってマジックショーをやったり、ジャズの生演奏があったりと、反対派のご機嫌を損ねるような内容なのだ。
また、実行委員会の中でも色々な意見があって、推進力のある人がどんどん進めてゆくと必ずといって不協和音が出てくる。じゃ、おまえがやれよ、ってことで喧嘩になってしまう場合もあるし、摩擦を避け、遠慮しながら進めてゆくと、大胆な企画なんて出来やしない。
その辺りがとても難しい。準備段階においても楽しいことよりも、苦しいことばかりで、実行委員になってもなんにもいいことがない。お祭りに限らず、イベントには達成感がちゃんとあってこそのスタッフである。あんなに大変な思いをしたのにも関わらず満足ゆかない結果だったり、思い切りクレームを入れられた日には、もうやる気もへったくれも無くなってしまう。
でも何故お祭りをやるのかといえば、コミュニケーションなのだ。せっかく同じ建物の中、同じ街の中に住んでいて、まったく知り合う機会が無くなってしまうよりは、楽しく語らえる場所があったほうがよい。自治会のテーブルで意見を戦わすことだけでもいいかもしれないが、多少酔っ払いながら、ぎゃあぎゃあ語らえる場所があってもいい。もちろん、コミュニケーション大嫌いな人だっているわけだ。そういう人はお祭りに来なくてもいい。できれば、お祭りにクレームを入れることよりも、まずお祭りの当日には街を離れて、出来るだけ遠いところに旅行にでも出掛けたらいかがなもんか。(ちと過激な発言か???)
というと、病気で寝てる人はどうするんだ、とかの意見もあるかと思う。苦痛に耐えているときに外から聞こえてくる楽しげな音は時には苦痛を助長することもある。ま、そういうことも含めて、様々なことを配慮しなくてはならないので、主催者は大変なのだ。今回の主催者には本当に頭が下がる。色々有難うございました。
それにしてもこの日は忙しかった。自分で忙しくしているから文句を言うわけではないけど、朝、仕事の整理、午前中にバンドの練習で北習志野のスタジオ、戻ってきて慌てて食事、そして、2番街のお祭り、生ビールでいい気持ちになって家に戻ってきたら、お客さんからの電話やメールが溜まっていて、うひょーってな感じで泣きながらメールを開いていた、という状況なのである。(あ、この件はこのページの上のほうでも書いたっけ。)
一番まいったのは翌朝、せっかく4時に起床し、仕事をがんがんやっつけようと思っていたのに、夏バテのせいか、PCに向かってもまったく仕事にならない。お陰で、午前10時からの息子の(野球の試合の)初スタメン、初打席を見られなかったことである。
2005/8/23 |
<追記>
先日のこのシリーズの中で、LEDライトのことを書いた。すると、100円ライターにLEDライトが組み込んであるやつを売ってるという情報を頂いた。うーむ。そうなのか、そりゃ凄い。ということで、私も早速入手してしまった。(笑) |
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