武蔵野線の車両故障
今更驚くことでもないけれど・・・
11月27日のこと。今思い出した。すっかり忘れてたよ。またまた武蔵野線のお陰で帰宅が遅くなり、アタマに来たんだった。表題の通り、武蔵野線の秋津辺りで車両故障があり、ダイヤが大幅に乱れていた。まあ、そのくらいのこと、武蔵野線ではよくあることで、私が毎日幕張から大宮に通ってた約4年間(だったっけ?)には1週間に一度や二度の割合で(つまり頻繁に)ダイヤが乱れていて、腹立たしく思っていたし、まあ、それでも武蔵野線だからしょうがねえや、とも思っていた。
でも、今じゃそれほど頻繁に電車に乗っているわけではないのに、なぜか私が利用するときには何だかの原因で電車が遅れている。この日も都内から東西線で、滅多に行かない西船橋駅に午後8時頃到着した。コンコースには武蔵野線で埼玉方面に行く通勤客で溢れかえっていた。何故なら西船から新所沢間の運行を中止しているからなのである。幸い、西船〜海浜幕張の折り返し運転はやっていた。幸いという言葉だと松戸や三郷に帰る人には非常に申し訳ないのだが、まあ、私が帰る方向の電車は動いているから幸いなのである。すまない。
で、とりあえず、武蔵野線のホームへ昇る。ホームには人がまばら。それもそのはずで、埼玉方面へ行く電車が動いてないのである。つまり、東京方面と南船橋、海浜幕張方面へだけしか行けないのである。電光掲示板にはあと5〜6分で海浜幕張駅行きの電車が来るような表示になっていた。そこでまずはたまたまホームに停車していた東京行きを見送ったのだが・・・。
ところが、次の電車が来ない。線路を挟んだ隣のホームにはやはり東京駅行きが停車していて、順次出発した。う〜ん、どうしたんだろう海浜幕張行きが来ないじゃないか。10分待ってみた。来ない。15分待ってみた、やはり来ない。どうなっているんだ。そのうち電光掲示板の海浜幕張行きの表示まで消えていた。
その間、場内放送はひたすらお詫びを繰り返していた。ただ、西船〜東京、西船〜海浜幕張の折り返し運転を行っていることは告げているのである。私と同じように海浜幕張方向へ帰る人が徐々にホームに集まってきた。すると、突然、海浜幕張行きが隣のホームへ来ることを放送し始めたではないか。隣のホームといっても一旦降りて、また昇り直さなくてはならないのだ。なんという不手際だろう。それだったら、私もいたホームで待っている大勢の人がいる時点で、「そのホームには電車は来ませんよ!」っと、もっと早くアナウンスできなかったのだろうか。まあ、それはいいとしても、少なくとも15分や20分待っても海浜幕張駅行きが来ないのであれば、何故東京行きに乗ることを勧めなかったのか、ということでも不親切である。完全に不手際だ。
仕方無いので、隣のホームに行き、約5分待って海浜幕張行きに乗り込んだ。これで安心かと思ったら、ところが東京行きの電車の到着を待って出発するという。なんということだ。また約5分経った。そして東京行きがやってきた。車内放送でも電車の遅れを散々詫びている。詫びてるだけじゃなくて、なんとかしろよ。早く出発せいっ!ぼけっ!かすっ!(すみません。暴言でした。)
また5分経った。どうやら東京行きが先に発車するらしい。どうでもいいから早くしろ。しかし、なにかもたもたしている。また5分経った。やっと東京行きが発車した。まさか、とは思ったが、その後、もう出発できるであろう時間が経っても私の乗り込んだ電車はまだ発車しない。ぐずぐずしている。最初に東京駅行きに乗り、市川塩浜で京葉線に乗り換えていたらとっくに帰宅できたのである。また10分経った。相変わらず車内放送、場内放送ともお詫びをしている。
やっと出発のベルが鳴った。しかし、驚いたことに行き先が変更になっていた。方向が同じだから、これもしょうがねえやと諦めたけれど、海浜幕張行きじゃなくて、南船橋行きになっていた。その件のお詫びは、耳を凝らせて聞いていたが、まったく触れていなかった。お詫びのし過ぎでアタマがおかしくなっていたのだろうか。場内放送の担当にしろ車掌にしろ混乱していたかもしれない。
結局西船橋で50分以上を費やしてやっと南船橋に到着。こういうときには接続も悪い。トータル1時間10分以上もかかって西船橋から海浜幕張に着いた。後で聞いたら、新秋津近辺の故障した車両に乗っていた人達は1時間以上も閉じ込められていたようでお気の毒。私も過去、武蔵野線で似たような経験をしたことがある。武蔵野線じゃないけれど、新幹線に一晩泊まったこともある。しかし、物理的に仕方無い場合は怒りの矛先が分からないけれど、場内アナウンスや車内放送で何とでもなるようなことも多いわけで、今回の私のように、無駄な、余計な、空白の50分は、まさにそうしたJRの怠慢が生み出した何ものでもない。猛省を促したい。友人にJRの職員がいるから、あんまり大きな声で怒鳴れないけれど・・・・。
(2006年11月29日 記) |