若気の至り
若い頃のいい思い出に混じって、 相当恥ずかしいことをやってたことも思い出してしまうのだ |
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そう。表題の通りなのだ。でもあんまり事例が多くて枚挙にいとまがないので、ここで紹介するのはやめとこう。あまりにもくだらないし、また、相当かっこ悪い言動も多々あったので、関係者の皆様、どうぞそういう私の過去をほじくって、あーだ、こーだと言うのはやめてね。(笑)
先日、部屋を片付けていたら(というか、ずーっと何年も散らかっている状態は未だに変わらないのですが・・・)、古いノートが出てきた。中をぺらぺらめくっていたら、あら恥ずかしや、これがエッセイ集みたいなもんなのですわ。薄汚い表紙のそのノートは、20歳から21歳の間に書いたものである。時には稚拙なイラストまで書いてある。
で、読み始めたら、結構面白い。なかなか鋭い文章なのだ。ん〜、あの頃の私(以降、オレと呼ぶ)は尖っていたんだな、なんて感心した。が、しかし、恥ずかしい文章もそこかしこにあって、なんじゃ、これ、と思わず破って捨てようかとも思ってしまった。実際にあまりにも恥ずかしい文章についてはゴミ箱に行ってしまったけどね。
ちょっと勿体無い気もするけど、私が突然死んで、妻子がこれを読んだときに、やっぱ恥ずかしい思いをするだろうしね。そうそう、話が横道逸れるけど、突然死んだときに残したものの中に恥ずかしいものがあるかどうか、皆様も時々チェックしたほうがいいよ。特にエロ本、エロビデオなどの類はちょっとヤバイ。
で、話を元に戻すと、その恥ずかしい文章は、将来自分がこれを読んだときに「20歳のオレは結構かっこいい奴だったんだなあ。」と無理やり思わせる文章になっているのだ。エッセイといっても、誰を対象にしているかといえば、ほかでもない未来のオレだったのだ。しかも、未来のオレに対して過剰なまでに媚びている。そこまでかっこいい奴じゃないのに、背伸びしているのだ。
例えば、10代後半の頃に感化された小説家やジャズミュージシャンの考え方などをかなり盗作しているのだ。それも、考えが及ばなくて、理解しているつもりでも、外してるのもあって、物凄く恥ずかしいのである。また、映画の主人公に感化されて、かっこいい部分の台詞や行動を真似たり、考え方を真似た文体もある。ファッションとてそうだ。いや〜、みっともない。
「欧米か!?」と言われてしまいそうなくらいかなり無理のあるアメリカンナイズの経験もあった。
だいたい、バイクを乗り回すのが好きになったのはドゥービーブラザースのグルーピーに「ヘルズエンジェルス」がいたということからだし、その後、バイクの一人旅は片岡義男の小説、あるいはエッセイからだったような気がする。モトクロスをやってた頃は完璧に大藪春彦の小説の主人公になっていたのだ。この辺りは一例で、ほじくり返せば、いったいおまえは誰なんだ、ちゅうくらいのパクリ野郎なのである。
まあ、その頃はその頃で、一所懸命なりきってた。自分の個性と、なりきってた自分の垣根がごっちゃになって分からなくなっていた。自分自身の演出に無理があったのも確かだ。今、こうして冷静に(やはり加齢とともに冷静になれるもんだね)考えてみると、若気の至りの約半分くらいは巧みに、いや巧みだと思い込んできて実は稚拙な演出であり、衝動的な本当の意味での若気の至りというのは少なかったようだ。ま、でもそういうことまで含めて計算が足りないこと自体が若気の至りっていうのかもしれない。
2007/6/14 しばざ記 258 |