「俺たち2」管理人による戯言
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キャベツの思い出
こんな話をしていると懐古趣味だと言われても仕方ないけど・・・



ン十年前の私の部屋。おそらく今回の話とは時代が違うかもしれない。

この前、キャベツの話(野菜炒めの話)をこのシリーズで書いた。それ以降、余計にキャベツにこだわっている。スーパーでキャベツが置いてあると、つい値段を気にしてしまう。安ければ、丸ごとのやつを買う。まるで主婦のようになってきた。

更に、キャベツといえば、キャベツに纏わる思い出があり、先日来、このシリーズに書いてみたくなってきている。うまく書けるかどうかわからないし、まあ、ごくごくつまらない思い出なので、数少ないこのページの読者に皆様も、スルーしてくださっても構わない。ネット上の公開ゴミという位置づけかもしれない。万が一、読んでみたいな、と思われた方は読んでちょ。

だけど、読んだ後で、つまんねーと言うのはナシね。(頼むよ。)

といういことで、いきなり本文。あれは私が予備校に通う(といっても、殆ど授業料をゴミ箱に投げていたくらいにしか通わなかった)19歳の時の物語である。某中央線沿線の街のある大衆食堂に時々夕食に出かけていた。

繁華街をやや外れた目立たない店で、そこはカウンタと4人がけテーブルが2つだけの、せいぜい20人入るといっぱいの狭い店だった。正直、店の造りはよくない。というか、汚い感じだ。床がぬるぬるしていた。50〜60代のおやじさんと若い(24〜5歳くらいではないか)の二人で切り盛りしていた。

味は、中の下くらいか。量は多少多め、値段は結構安い部類だった。そして何より、とんかつ定食を頼むと、キャベツのお代わりが自由だった。ご飯はお代わり自由ではないが、安かったので、キャベツにソースをドバドバかけることで、とんかつが無くなっても十分におかずになって、19歳の底なし沼のような食欲の私にとって好都合だった。

あるとき、パチンコ屋で、その店の若い店員と出会った。秋ごろだったと思う。皮ジャン風の、いや合成皮革だとすぐにわかるようなあまりパッとしないファッションを彼は身にまとっていた。皮ジャンが流行りだった。体は割合がっしりしている。顔立ちはまあ悪いほうではないものの、少々水商売っぽい雰囲気が漂っていた。喧嘩が強そうな気がする。

余程彼から見て私が印象深かったのか、パチンコ屋の通路で彼から声を掛けてきた。声を掛けてこなければ、おそらく彼と私は一生店員と客の関係だったし、また、その街を離れれば一生会わない筈だった。

「よう。」彼はぶっきらぼうに言った。MG5のような安物のヘアトニックの香りがぷんぷんした。私が軽く会釈すると尚も、「出た?俺はさっぱりダメ。この店出ないからさ、いくらつぎ込んでもダメだよ。はっきり言ってイカサマだぜ。俺、これから仕事だから、一緒に店行かねえかい?」と、パチンコ店のBGMに負けないように、矢継ぎ早に叫んだ。私は彼の威圧感たっぷりの怒号に、首をすくめた。

結局、彼と一緒に店に行った。黄昏時だった。その店は昼時の営業が終わると午後3時に店を閉め、そして夕方の5時頃から再び営業するといったスタイルだった。後でわかったが、夕方から午後8時くらいまではその若い店員が一人だけで店をやっていた。その時間帯は客も少ないのだ。

若いといっても前述の通り、私が19歳の頃だったから彼は私から見たらずいぶん大人だった。「ビール飲むか?」と彼が聞く。あ、未成年ですから、みたいなことを私が言うわけがなく、実は当時からアルコールが大好物の私は「おごって頂けるんでしょうか。」みたいなどきどきした表情をしながら、コップに注がれているビールを眺めていた。

店員は岡田(匿名にしておく)と名乗った。「しかし、なんだなあ、パチンコは出ないし、仕事は暇だしよ、これじゃまた社長から給料引かれちまうよな。俺、悪いことしてねえのにさ。こんな汚ねえ店だからさ、客が来ないのは当たり前だよな。そう思わねえか。」と岡田さんは吐き出すように言うと、自分でなみなみにビールを注いでぐいっと飲み干した。

私はたいへんですね、とか、あるいは、そうだそうだ、と言ったかどうか定かではないが、ビールをもっと飲みたいから適当に合いの手を入れていたかもしれない。いつしか、酔いも回ってきて、どういう展開でそうなったのか忘れてしまったが仕舞いにはどこかのスナックで彼と飲んでいた。かなり色々な取り留めないない話をしたような微かな記憶がある。岡田さんは田舎に帰ると暴走族だか小さな組のそこそこの顔だ、という話をしていたような気もする。

それから、暫くは岡田さんの店には行かなくなった。理由はキャベツだ。酔っていたから、岡田さんが私を適当にからかって言ったのか、あるいは私の一方的な聞き間違いかどうかは未だもって明らかではない。しかし、そのときは確かに衝撃的なことを言った。この耳で聞いてしまったのだ。

「おまえらさあ、キャベツがタダだからってバカスカ喰ってんじゃねえぞ。あれ、他の客の喰い残したやつとかさ、流しに溜まったやつとかかき集めて、ま、少しくらい洗うけどよ、結局そういうのをもう一回出してんだぞ。だからうちはお代わり自由なんだよ。」

その当時、本当かどうかは知らないけれど、パセリとか、あるいは喫茶店のクリームソーダの中に入っているチェリーなどは再利用しているという話は聞いたことがあった。けれども、まさか調理場に入っている人間がじきじきにそういうことを言うとは思わなかった。キャベツはノーマークだった。

2週間ほど経った夜、街角で岡田さんと再会した。道端で衝突しそうなくらい唐突だった。彼は店を終えての帰宅だった。最近顔見ないな、というような言葉を予測していたが、彼は開口一番、「わりぃ、1000円貸してくれないか。」と言った。19歳の予備校生にとっては1000円も非常に貴重なお金だったけど、断れない雰囲気だったので、渋々財布の中から1000円出すと彼に渡した。

岡田さんは小さく敬礼するような感じで、「すまん。」と言い残して、どこかへ足早に消えた。再び、数週間経った。例のキャベツの件は、徐々に衝撃が薄らいでいった。きっと彼は冗談を言っているのだと思った。久しぶりに岡田さんの勤めている定食屋に行ってみた。1000円返してもらえないまでもビールくらいはおごってもらえるのではないかという期待もあった。店には黙々とおやじさんが働いていたが、彼の姿は無かった。

それから、度々その店に行くようになった。相変わらず岡田さんは店に出ていなかった。何かあったのかと思った。もしかしたら、故郷の身内に何かあって、戻らなくてはならなくなったとか、きっとそういう事情なのだろうと思った。彼の微妙な東北訛りが、そういうストーリーにマッチしていた。(東北出身の方、すみません。)

季節は冬になっていた。店の前にぶら下がっている薄汚れた提灯が北風に揺れ、哀愁を誘う。そんなある日、おやじさんに勇気を振り絞って彼の消息を聞いてみた。おやじさんは、客に小声でいらっしゃいませ、というのと、ありがとうございました、という二つの言葉しか喋らない。実際には何かぶつぶつ言ってるようなのだが、私はおやじさんとはまともに会話したことがない。

「岡田か。何やってんだか。」とおやじさんはドラマの台詞のようにつぶやいた。岡田さんの話をするのが嫌な感じだった。どうやら店を辞めたようだ。しかも、あまり良い辞め方をしていないようだった。勝手な想像だが、店の金を持って逃げたとか、あるいはアパートの家賃を踏み倒して、逃げたとか、そういう感じじゃないないか。

おやじさんとはその二言三言だけで、その後会話も無かった。私は黙々と定食と食べ、おやじさんは黙々と洗い物をしていた。その店はそれきり行かなくなった。別にその会話が原因ではない。なんとなくだ。その数ヶ月後、私はその街を出た。

後年(2年後くらいか?)、たまたま用事で、以前住んでいた街の隣の駅の近くに行った。用事を終え、何気なく入ったラーメン屋で、岡田さんに会った。岡田さんは調理場にいた。鍋の中で、ぐらぐら煮えたぎったお湯に、手際よく麺をほぐしながら入れていた。やや上目遣いで、私のほうを見ると、小声で、「いらっしゃい。」と言った。私だと気づいたのかどうかはわからない。しかし、気づいていたなら、もう一度確認のために私を見る筈だと思った。

「はいお待ち。」と、別の客にカウンタからラーメンを差し出す。そして、前の客が残した洗い物を引き上げ、勢いよく洗い出す。小さいラーメン屋だったが、ちょうど客が重なったのか、かなり目まぐるしく動き回っていた。もう一人調理場に店員がいたが、大きな鍋を運んだり、冷蔵庫から何かを入れたり出したりしていて、直接調理には加わってなかった。岡田さんは会計の時まで私を一瞥することもなかった。

結局、岡田さんともそのとき以来とうとう今日まで会っていない。岡田さんは、やはり私のことをどうもすっかり忘れているようだった。この話はここでおしまい。思い出話にするほど、楽しい展開でもないし、また教訓になったこともない。本当に些細なことだった。にも関わらず、キャベツとなると、どうしても岡田さんのことを思い出すのだ。あれから数十年経って、その定食屋も、ラーメン屋も跡形も無い。

2007/9/1
しばざ記 288

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