ポータブルのCDプレイヤーがいいっ!(その2) 出先で急にCDを買ったときに、これさえあれば、帰りの電車で楽しめる。 |
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前回の続き。
そう、急に、再びCDプレイヤーを携行するようになった理由のひとつには、音が良いことである。たまたま、棚の上に無造作に置いてあるPanasonicのCDプレイヤーを見つけ(今まで同じところに置いてあったのに、気づかなかった)、「たまには電源を入れておかないと壊れてしまうな。」と思い、手に取り、外部電源を繋ぎ、床に寝転がって、やはり、たまたまセットされていたCDを聴いてみた。
ところがびっくり。音がいいのである。たまたま入っていたアルバムというのが、これまた懐かしい、リー・リトナー&ジェントル・ソーツの話題のダイレクトカッティングの限定版なのである。音がいいのは当たり前。だが、MP3で手軽に聴いていたこれまでの音質と格段の差があったのだ。曇っていた眼鏡をひと拭きした感じとでもいうか。
これだよ、これ。やはり、CDだ!
というわけで、それからCDを聴きだすようになった。かれこれここ1ヶ月くらいである。
MP3は手軽に、いつも音楽を手元に、という文化をもたらしたが、同時にあまりにも簡単に音楽が入手できるので、1曲ずつの重みというか、価値が無くなってきているような気がする。i-podに2〜300曲入れて、いつでも音楽が聴けるという環境を手に入れたときは非常に嬉しかったが、同時に、曲の聴き方がオムニバスになってしまった。
1人のアーティストを、一枚のアルバムをじっくり聴きこむという、我々の青春時代とは明らかに違った音楽の接し方を今の時代の若者はしているのだ。
というわけで、それから2〜3日は電車に乗ると、ジェントル・ソーツのアルバムを毎日聴いていた。改めてじっくり聴くと当時のアタマでは理解できなかった音楽的な意味が見出せるようになってきた。当時は聴こえなかった(聴き逃していた)リーのカッティングとか、アンソニー・ジャクソンのベースのラインも見えてきた。「へぇ、あのとき、あんな風に弾いていたんだぁ。」という驚きが、30年の時を経て再び訪れる。ハービー・メイスン、デイヴ・グルーシンの演奏も堪能できる。
良いアルバムだということは常識。あのアルバムを機に、クロスオーヴァーだとかフュージョンが好きになった人は日本中にたくさんいるはずだ。もちろん私もそうなのだが、多分に周囲に流されていて、本当の良さではなく、流行とかかっこよさだけで評価していたような気もする。
30年か。オーディオ機器も含め、電化製品は格段の進歩をした。では音楽はどうか。
因みに、CDが無かった時代のアルバムは当然買っているし、その後口で出た若干バージョンの異なるアルバムも買った。けれど、それが今どこにあるのか分からない。それにしてもその後、杏里と結婚するとはなあ。いやはや、さすがリー・リトナーとしか言いようが無い。
2007/9/4 しばざ記 291 |