岩崎宏美の「パンドラの小箱」(その2) 「南南西の風の中で」に出会った理由(わけ) |
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朝5時に、あまりの風雨の凄さに目を覚ました。こんなに物凄い台風はここ数年無かったような気がする。外を眺めてみると、小学校の校庭の樹木が折れそうなくらいにしなっている。水はけの良いのが自慢の校庭も海のようになっている。こんな折に、野外教室(昔の修学旅行に当たる)に出かけている息子達が不憫でならない。よりによって、3泊4日の全てのスケジュールが台風の影響で天気が悪い状態になってしまった。今日は3日目。早いところ台風が去って、せめて今日の午後とか、明日とかはいい天気になってほしいものだ。
さて、昨夜、しこしこ書いた「パンドラの小箱」の続き。床に就いてからもそのことを考えていた。不思議なのは、何故私がその「パンドラの小箱」を好きになって、そして聴くようになったのか、なのだ。記憶の糸をたぐっていったら、すっかり忘れていたKさんのことを思い出した。(実は、お名前を失念している。アルファベットも「K」ではないかもしれない。ま、でも本人の名誉のためにも思い出さないほうがいいかもしれない。)
かつて私は渋谷でバイトしていた。ごく短い間だったけれど、ある事情で昼と夜の2つのバイトを同時にこなしていた。以前書いたとおり、別に大変なことではなかった。むしろ楽しかった。そして、色々な人とこのバイトで出会った。Kさんはその中の一人だった。井上陽子さん(井上陽水みたいで覚えやすかった)の日刊アルバイトニュースで見つけたその昼間のバイトは喫茶店のカウンタの中の仕事だった。
もちろん、お金を稼ぐのが目的のアルバイトだったが、カウンタの中の仕事を覚えれば、将来何かの時に役立つだろうという目的もあったし、うまいコーヒーを淹れられるというのも魅力だったし(実際にドリップには少しだけ自信あり)、ひょっとしたら、アルコール類をこっそり飲めるのではないかという期待もあった。ただ、その店はアルコール類を扱っていないというのをバイトを始めてから知って、非常にショックを覚えたのである。
その喫茶店は渋谷の駅からほど近いところにあったが、道玄坂のような大きな通りでなく、少し奥まった場所だったので、目立たなかった。それほど大きくはない2階建てで、朝、7時から営業していた。従って、私が出勤するのは朝6時頃だっただろうか。その時刻には必ず年老いたオーナーさんも来て、挨拶だけして、どこかに行ってしまう。他にも数店舗経営していたので、そちらに行っているのかもしれない。
Kさんは、私にコーヒーの淹れ方を懇切丁寧に教えてくれた。淹れ方だけではなく、コーヒーに対して、相当の思い入れがあるのか、うんちくもたくさん教えてくれた。物静かな人で、しかし、存在感のある人だった。昼休みには必ず、近くでパチンコをしていた。彼からよく景品のタバコとか、菓子類を貰った。
店内にはポールモーリアなどのイージーリスニングとでもいうような音楽が流れていて、それはそれで雰囲気だったけど、カウンタの中にはそのKさんの私物であるラジカセから、ロックやポップスが小さく流れていた。その中には、当時かなり売れていた女性シンガーのアルバムもあった。
後でKさんから聞いた話だと、その女性シンガーのバックバンドにKさんはベーシストとして参加していたらしい。しかし、あまりにも売れなくて、喰うに困り、後ろ髪を引かれつつも退団。その直後にブレークしたのだという。当然後任のベーシストはラッキーだった。Kさんは喫茶店で毎日コーヒーを淹れながらその女性シンガーの歌う曲を聴いているのだ。
Kさんはさすがにミュージシャンだけあって、先見の明があった。ちょっと曲を聴くだけで、「このアーティスト、絶対に売れるよ。」という予想をしてみせた。そのとき、他のバイト仲間も私も、適当に言ってるのだろうという気がして、話半分くらいに聞いていた。後年、ふと思い出すと、あの時Kさんが言っていたアーティストは全部売れて、しかも、今では大御所になっているから凄い。ハズレが無いのだ。
さて、表題に戻る。ここでやっと「パンドラの小箱」が登場してくるのだ。それは売れる売れないという話とは別の、Kさんの好みという意味で、「このアルバムいいから聴いてみな。」と薦められたのである。岩崎宏美は確かに歌がうまいし、聴いていていいなと思うことはあっても、声質としては松田聖子、雰囲気としてはユーミンが好きだった私は、えーっ?と思いつつ、しかし、気になったので、ラジカセから小さく流れている彼女の歌に耳を傾けていた。
その渋谷でのバイトはこれまたある事情ですぐにやめなくてはならなくて、というよりも、もっと時給の稼げる他の仕事に切り替えた。Kさんをはじめ、マネージャーさん、その他、ウエイターさんたちなど非常に短い間だったけれど、未だに忘れられない人ばかりで、本当はずっとその店で働きたかった。余談だけど、この店のお陰で、某有名人とも知り合いになれた。その話はまたいずれ。
その当時、岩崎宏美のシングル「シンデレラ・ハネムーン」がヒットをしていた。同曲は前述の「パンドラの小箱」の中の1曲。シングルが先か、それともアルバムが先かわからない。おそらく一般的な歌謡曲の場合、シングルが売れた後で、無理やりカバー曲などで曲の数を増やしてアルバムに仕立て、儲けようという魂胆の場合が多いので、アルバムは後になるのが通例だ。
だが、この「パンドラの小箱」はお茶濁しのアルバムではなかった。ちゃんとしたコンセプトでつくられている感じだった。それに岩崎宏美の歌唱力ならでは、というところもきっちり考えられていた。可愛いだけのアイドル歌手では絶対に出せないアルバムだ。大竹さんだけでなく「名盤!」と言い切る業界の人も多くいたはず。
数ヶ月後、たまたま所有していた友人から「パンドラの小箱」を借りて、テープにダビングした。そして、その夜、全曲を聴いて、ぐっと来たのだ。特に、「南南西の風の中で」は、今の自分とまったくかけ離れた、ちょっと小金持ちで、夏の日のリゾートというシチュエーションがたまらなく、将来はそうなりたい、みたいな憧れもあって、気に入った。岩崎宏美が熱唱じゃなくて、ふわっっとした歌い方をしているのも好感が持てた。もちろん、いかにも南南西という感じのメロディの良さは言うまでもない。
数ヶ月後、あるいは、数年後だったか、黎紅堂だかあるいはその他の中古レコードショップで、「パンドラの小箱」を購入した。そして、その当時関わっていたいくつかの音楽イベントのBGMとしてやたらに「南南西の風の中で」を流していた。まあ、小さなイベントだったからそれほどの影響力も無いとは思うが、それでも、あ、あのとき聴いたよ、なんて思ってくれる人がいれば幸いだ。20年以上も前の話だ。どんなイベントだったか、どこでやったのかもひとつひとつは覚えていない。
でも、ひとつだけ鮮明に覚えていることがある。あ、それは、イベントではないな。知り合いが湘南の海の家でバイトをしていたので、「南南西の風の中で」を高中正義とか、リーリトナーとか、あるいは、ボブ・ジェームスなどの曲と一緒にオムニバス仕立てにしたカセットテープを持っていって、それを海岸に流してもらったのだ。夏の湘南、「ブルーラグーン」(高中正義)、そして「南南西の風の中で」。トランペットスピーカーから流れるチープな音。それでもまさにきらめく渚というシチュエーションが、曲とマッチしていて、幸せなひと時を過ごせた。
それにしても悔やまれるのは、「南南西の風の中で」に出てくる夏の日のあの憧れのシチュエーションを遂に体験できなかったことだ。この歳じゃ、これからも望めやしない。「冷たいジュース届けさせる。早く起きてね。」みたいなあのリッチな感じ。人生に一度くらいそういうことがあってもいいじゃないか。
何かいいことないかな〜♪ 何かいいことないかな〜♪ 何かいいことないかな〜♪ 何かいいことないかな〜♪ (川島英五)
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その当時の渋谷エムパイア
ネットで検索しても画像が発見できないので、この写真は貴重です。(と、勝手に思っている。)
赤坂のミカドと並ぶ、キャバレーの王様。今では、キャバレーという存在はなくなってしまい、代わりにキャバクラというものができた。だが、キャバレーとキャバクラは全然別もの。当時のキャバレーはサブキャッチにもあるように、「紳士の社交場」であり、ビジネスの場でもあり、高級ホステスと談笑したり、ダンスをしたりする場であった。また、エムパイアのように大きなキャバレーは、専属のビッグバンドが毎晩演奏し、月のほぼ半分くらいは有名・無名の歌手が出演していた。
この建物は力道山が建てた。リキパレスという名称。往時、この辺りではひときわ大きな建物で、かなり遠くからでも見えたらしい。プロレス色がまったく無くなった1980年頃、私はこの建物にはバイト関係でよく出入りしていた。その当時は確かに、左の写真にあるような大きなビルに取り囲まれているような感じではなかった。この撮影をしたのは数年後。このときは既にキャバレーとしての営業はしていない。確か、サウナになっていたと思う。何回かこのサウナも利用した記憶がある。
「リキ・スポーツ・パレス」Wikipedia 1992年に取り壊されたらしい。 |
2007/9/7
しばざ記 294 |