また年末年始テレビで「お笑い」の芸人さんをたっぷり観てしまった。「お笑い」は好きだし、若手の「お笑い」もなかなかいい。かつてのように、まったく面白くもなくて、どこに取り得があるのか疑うような芸人さんは淘汰されてしまったようで、ま、そこそこ質的な部分も向上しているような気がする。中には大御所的な立場なのに、若手の芸人に混じって、テンションの高いところを存分に見せてくれた昔の芸人さんもいた。視聴率の関係か、一昔前の芸人さんは健在なのに、テレビでアピールする場が無いのは可愛そうだ。単に視聴率を稼げる若手の芸人を出しときゃいい、という考え方が業界に蔓延しているのだろうか。
それと、いくらイキのいい芸人さんでも、どのチャンネルを回しても登場してたりすると、面白くても食傷気味である。もっと言えば、どのチャンネルもがお笑い番組だったりして、お笑い番組自体が食傷気味なのである。或は、お笑い番組じゃなくても、そう、例えばクイズ番組でも、お笑い芸人が司会で、殆どの回答者もお笑い芸人という番組もあったり、一見マジメな報道番組にもお笑い芸人が多数出演していたり、お笑い芸人が文化人を気取って、政治にコメントしていたりする。ま、そういうのも含めて嫌いじゃないから、食傷気味と言っても、ついつい観てしまう。
いったい、毎日のテレビ番組で「お笑い」が絡む番組って、どれくらいだろう。いや、「お笑い」が絡まない番組って、逆にどれだけあるのだろうか。今や、局のアナウンサーでさえギャグをかまして、ウケ狙いの芸人化しているから、ほぼ90パーセントがお笑いが絡む番組になってやしないか。第一、我々はそんなに四六時中、「お笑い」を必要としているのだろうか。例えば、たまにはマジメに環境問題の特集番組を観ているとする。おお、アカデミックだと思って観ていると、肝心なところがクイズ形式になっていて、スタジオにいるお笑い芸人も含む回答者が面白可笑しくボケた回答をするという場面に遭遇する。待てよ、この番組って、果たして「お笑い」の必要性があるのか。しかも、物凄くくだらないギャグを連発した挙句、「正解はCMの後で」。なんじゃこら。ぼけ。
需要があるから供給があるわけで、お笑い芸人はまるでトコロテンのように、次々に出てきては淘汰されている。テレビやラジオの現地リポーターのようにどうでもいいような役回りをしている芸人さんも、テレビに出ているだけでもマシなのだろうけどね、はっきり言って、誰が見ても必要とされていないような気がする。例えば、よく見かける〇〇商店街からの中継は、一所懸命ギャグを連発していてもスタジオにいる司会者陣が大ウケなだけで、果たして、何故そこに「お笑い」が必要なのだ、と首を捻ることが多い。「お笑い」どころか、むしろ悲しい。更に言えば、絶対につまらないのに、大げさに手を叩いて、無理に笑っている司会者の心の底が見えて、余計に悲しい。
そう、「お笑い」に付きまとうものは、「笑わなきゃいけない」ということなのだ。我々は日常茶飯事、質の高い「お笑い」から、低俗の「お笑い」まで無数に見ているわけで、先ほど食傷気味と書いたが、ある意味舌が肥えているのである。だから、無理して笑っているスタッフの本心なんて、簡単に見抜けてしまうのだ。番組をつくる側も難しいかもしれないけど、そこまで視聴者を甘く見るなよ、と言いたい。長々となってしまった。すまん。とにかく、下手に「お笑い」を登場させるよりも、つまらなくてもいいから、マジメな番組の比率をもっと高めてほしいというのが今日の結論。
2008/1/9
しばざ記 385 |
|
|
|