最近のことでめちゃくちゃ羨ましい話をひとつご披露しよう。いや、ご披露というほど偉そうなものでもない。関係ない人には全然関係ないので(当たり前!)、面白くもなんともない。すまん。
知り合いの若いパパさんのM君が再婚した。若いといっても35歳だから、まあ、そこそこ歳は食っている。私からすればかなり若い。嗚呼、私も歳をとったもんだ。ちっくしょーっ!しかも、悔しいけどM君はややイケメンかもしれない。彼にはひとり娘がいて、今年小学校2年生になった。彼女はとても可愛い。母親似だ。母親は私も何度かお会いしている。でも今は人の妻である。彼らは何年か前に離婚した。原因は妻の浮気。ざっくばらんに言うと、男が出来たのである。(なんちゅう親だ。子どもが可愛そうだ。)
離婚に至る経緯は割愛する。彼はその後娘と二人で健気に暮らしていた。朝早く保育園に娘を送り、その足で通勤していた。帰りももちろん保育園に迎えにゆく。だから、本当だったら飲みに行きたいところだけれど、行けないし、休日は一日中かかって掃除・洗濯をしていた。なかなか出来ることじゃない。幸い彼には近所に実のお姉さんが住んでいて、時々面倒を見てくれる。ただ、それぞれに生活があるので、頻繁にというわけにはゆかない。
さて、冒頭に羨ましいと言ったのは、その彼の再婚相手が、めちゃめちゃ可愛いのである。好みの問題かもしれないが、顔つきやスタイルは優香っぽい感じで、優香を更にもうちょっとおしとやかにしたらそうなるだろうというタイプなのである。年齢は25歳と言っていたような気もする。間違いなく若い。いずれにしても、羨ましいのである。更に、その新妻は、なんと娘さんの通っていた保育園の保母さん(今は保育士というのでしょうか)だ。なんか出来すぎたストーリーのようだが、しかし、本当なのである。
(ここまでの話は、人物の特定が出来ないようにM君に推敲してもらい、掲載許可を頂く。M君協力有難う。)
かつて、そういうシチュエーションを狙っていた知人がいた。彼もまた独身、子ども二人、そして、美保純(皆さん覚えてる?)みたいなややふくよかで可愛いけれど、肉体は大人、ってな保母さんにぞっこんだった。何度か求愛したのかしないのか、とにかく、デートに一回くらい誘うことに成功したものの、思い切り振られたようだ。つうか、その彼の場合はかなり強引で、バイブルとして昔のドラマ「パパと呼ばないで」が頭にあり、その筋書きに憧れていただけなのではないかと未だに私は思っている。それと、私が言うのもなんだが、典型的なスケベ面で、若い女性にはちょっと、ってな感じだ。
で、話はいきなり「パパと呼ばないで」というところに飛ぶのだ。父親役は石立鉄男さんだ。昨年だったか、一昨年だったか他界された。とても残念だ。娘役は杉田かおる。とても可愛かった。目がくりくりっとしていて、前歯が大きくて、子リスのようだった。石立の「チー坊っ!」というセリフを私はよく真似ていた。「チー坊っ!」と言うのにはちょっとコツが要る。私の場合は、細川たかしのこぶしを意識し、しかし、決してこぶしが前面に出ないような微妙なタッチで叫ぶ。今では出来ない。
公式ページではないようだが、以下のページに写真がたくさんある。
http://romann1960.hp.infoseek.co.jp/papatoyobanaide.htm
それにしてもこのドラマの脇役陣も凄い。ヒロイン役の松尾嘉代をはじめ、大坂志郎、三崎千恵子、花沢徳衛、富士真奈美、江守徹、などなど。花沢徳衛はこの人がいるだけで下町だった。
また話が飛ぶが、その石立の主演したドラマは、おそらく殆ど観ている。で、確かそのドラマの中でか、あるいは「気になる嫁さん」(榊原るみ主演)か、あるいは「おやじ太鼓」(進藤栄太郎主演)なのか、とにかく小田急線のロマンスカーが「リンローン、リンローン」と軽やかに警笛を鳴らしながら走るシーンがある。いや、シーンというよりも小田急ロマンスカーは実際に出てこない。音だけが聴こえてくるのだ。まるで鈴虫が鳴いているような癒しの音色だ。今、ふっと思ったのだが、ひょっとして「雑居時代」ではないか。ん〜、でも自信はない。「パパと呼ばないで」や「水もれ甲介」は下町が舞台なので、該当はしないし、いったいどの作品でどう出てきたのだろう。どなたか、教えて。
でも、確実に覚えているのは、「気になる嫁さん」の最終回だったかな。その嫁さんの榊原るみがアメリカに行ってしまった後に、石立がぽつんと庭を見つめているシーンで、例の、「リンローン、リンローン」とロマンスカーの警笛が静かに聞こえてくるのだ。記憶違いかもしれない。おっと、そうだ、このドラマには浦部粂子も出ていたのだ。急に思い出してしまった。何度も話が脱線して申し訳ない。後年、片岡鶴太郎が浦部粂子の物まねでウケていたが、私もよくマネをしていて、これがまた馬鹿ウケだった。
話を戻す。戻すといったところで、どこに戻せばいいのかは分からなくなってしまった。表題が「パパと呼ばないで」なので、そこに戻ろうかと思ったものの、「ロマンスカー」に戻ることにしよう。ロマンスカーと私の出会いは、絵本の乗り物百科だったと思う。かっこいいとずっと思っていた。憧れだった。いつか乗ってみたいと思っていた。でも初めて乗ったのは、20歳を過ぎてからだった。その頃つきあっている彼女と箱根に行ったときに乗った。驚いたのは、例えば車中でアイスティーなどを注文すると、紙コップではなく、ちゃんとグラスで出てきたのだ。
森永エンゼルがやっていて、走る喫茶店とか言われていたような気がする。最近はとんと縁が無いので、どうなったか分からない。たまには箱根に行ってみたいものだ。
とにかくロマンスカーは高級感もそこそこ漂っていた。ネーミングの「ロマンスカー」という響きも好きだった。貧乏だったからそれが余計に憧れに繋がり、その後、単にロマンスカーに乗るだけの為に、車中で洒落た雰囲気でビールを飲むために、何度か大枚をはたいて(ちょっと大げさかもしれないけど、でも私にとってはそうだったのだ)、小田原方面に行ったことがある。時には、小田原駅で下車。駅前で食事をしてからすぐに折り返しのロマンスカーに乗り込み、新宿に戻ることもあったくらいだ。
今のロマンスカーはちょっと好きになれない。あれは乗る気になれない。今走っているのは6代目から8代目だという。どれも、曲線を生かしたデザインで、つるんとした雰囲気なのだが、色がシンプル過ぎて、やや冷たい感じがする。私が憧れていたロマンスカーは、朱赤が基調で、流れるようなストライプの3000系だった。かな?ちょっと自信無い。Wikipediaで仕入れた知識だ。
で、ドラマに出てきたロマンスカーの音に話を戻す。いつの頃からか、ロマンスカーに憧れるだけじゃなくて、小田急線沿線に住むことが憧れになっていた。それはおそらく高校生の頃だったと思う。それが具体的になってきたのは、19歳に阿佐ヶ谷に住んでいたときに、友人が下北沢界隈に暮らし始めるようになってからだ。阿佐ヶ谷から何度も小田急沿線に遊びに行き、中央線にはない、独特の雰囲気が好きになってしまったからである。
だけど、その頃実際に下北沢界隈でロマンスカーの走っている姿は見たことがない。数年後に東北沢に引っ越してからもロマンスカーは見ていない。ロマンスカーを見たのは新宿駅と、そして小田原辺りまでドライブに行ったときに見たくらいか。普段目にする小田急線はというと、白いボディーに水色っぽい太いラインの入った車輌とか、代々木上原で乗り入れている千代田線の車輌くらい。もっとも、ロマンスカーの走っている時間帯に線路の辺りを歩いていないからかもしれない。
念願叶って、小田急線沿線に住むことが出来たものの、夢破れて山河アリ。結局今では千葉に下野している。そして働けど、働けど、我が暮らし楽にならず。せいぜいネットでかつて走っていた小田急ロマンスカーの車輌を見て喜んでいるだけである。友人のピアニスト栗本修が小田急線沿線に住み、そして時々彼の家を訪ねることが出来るだけでも有難く思わなくてはならないのかもしれない。んだ、んだ。
2008/5/8
しばざ記 460 |
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追記:
木更津駅前の懐かしい店
タイムスリップしてこのページにやってきた。
今は2017年5月16日。
昨日、この中橋食堂と模型の国の前を通った。
同店はもう何年も前からやっていない。
つまり閉店したということだ。
閉店したのがいつなのか分からない。
で、いつだったかな、と探しながら飛んできたのがこのページなのだ。
2008年5月にまだやってたんだなあ。
この写真を撮ったときの前後の記憶がまったくないので、どんなシチュエーションでここに寄ったのか分からないが、今にして思えば、中橋食堂のここでラーメンでも食べていればよかった。まったく残念だ。
こうやって9年後の未来からやってきて、ここに書き込むってなんか面白い。
本当にタイムスリップだよね。
2008/5/11
しばざ記 460
(2017.5.16 記) |
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[追記(その他)1] それにしても、なんだい、マリーンズは。このところ9戦8敗。勝ったのは前回の唐川が投げた西武戦だけだったじゃないか。まったく、もう!現在、5位。6位のオリックスに3タテ喰らってどうする。 一方の西武は強いね。確か昨日もサヨナラ勝ちだよ。神がかりだね。
[追記(その他)2] ベイ中のドラマー、タカハシ氏がいよいよ渡航する。寂しいよ〜〜。 で、BS100はドラマーを大募集。ベイタウン、もしくは近隣の方で暇な中年の方、是非是非ドラムを叩いてくださいな。ご連絡は小生までお願いします。 連絡はこちら → **** メール **** |