牛久というと牛久沼があって、牛久シャトーがあって、近年では(といってももう十年以上前だけど)牛久大仏があってと、まあそこそこ知名度がある。あのタルブの竹見さんの出身地でもある。といってもそれは茨城県の牛久だ。表題の牛久は上総牛久である。昨日は五井に仕事で行ったので、ついでに小湊鉄道に沿って牛久まで足を延ばした。へへへ。完璧に鉄ちゃんだな。茨城の牛久の隣の佐貫という駅から関鉄龍ヶ崎線というのが出ていて、ディーゼルカーの車両が走っている。それもいつか訪れよう。
朝9時半。千葉国体の事務局へ竹見さんとお邪魔する。以前にも書いたとおり、ベイタウン夏祭りにチーバくんが参加してくれたり、国体のブースが出てくれたりと、まあその関連の打ち合わせだ。昨年まで幕張新都心賑わいづくり研究会のメンバーだったAさんにもお会いできた。右上の写真はそのAさん。隣にいる赤い犬(?)はチーバくん。千葉国体のマスコット。横から見た輪郭が千葉県の形をしているのだ。Yoshiさんの家では息子さんがファンらしい。
Aさん、昨年はサマソニの関係で飛び回っていた。今の彼は千葉国体を成功させるために頑張っている。来年の秋が本番なので、それまでは大変なのだ。
県庁で竹見さんと別れ、私は市原市の五井へ。真夏のような天候。久しぶりに青空が覗く。暑いけれど、エアコンを入れず窓を開けて走ったら気持ちが良かった。仕事を終え、ごく普通の中華料理屋でランチをし、大竹まことのゴールデンラジオを聴きながら、前述の通りしばし小湊鉄道と併走する。といっても、なんせ昼の時間帯、基本的には上下とも1時間に1本しかないので滅多なことでは列車を拝めない。まして、写真を撮ろうなんてもんなら、そういうときに限って30分くらい待たなければならないのだ。
ところが、ラッキー。養老川に架かる鉄橋を撮ろうとわき道にそれたのだが、遠くで踏み切りの鳴る音が。なんとカメラを構えて2分くらいで鉄橋を小湊鉄道の愛らしい車両が通過した。うーむ、感動的だ。
そのときの写真が一番上の写真。なかなかいいでしょ?
こういう写真を撮ってると、なんかますます鉄ちゃんになってゆくのだ。(笑)
左: | 五井から適当に走っていたら方向音痴になって、どっちに行くと小湊鉄道だかわからなくなった。それにしても暑い。真夏の太陽だ。 | 右: | とりあえず小湊鉄道を発見。信号機の無い踏み切り。
私、こういう風景って大好き。 |
左: | 先ほどの川を渡る写真を撮ってから最寄の光風台の駅に行ったら反対方向からちょうど列車が来た。ラッキーだ。 | 右: | 馬立駅にて。
この写真は私が駅に到着したときに、すでに列車は発車しようとしていた。
つまり行き当たりばったりの撮影だが、いい感じに撮れた。ぞろそろ歩いている人たちは一緒に写っている列車から降りてきて家路に向かう。あれ?高校生ってなんでこんなに早い時刻に帰れるのかな。試験の期間中だからか。 |
左: | 馬立の駅から上り方向に少し行ったところから撮影。ご覧のように引込み線がひとつある。
列車のいなくなった駅はとてもさびしい。それが夏であっても。 | 右: | 近代的(笑)なアーチの向こう側は昭和だった。ってな、まるで「トンネルの向こうは不思議な世界でした」だったっけ?「千と千尋の神隠し」みないな光景。「千と・・・」の映画宣伝では盛んに「トンネルの向こうは・・・」と連呼していた。「トンネルを抜けると雪国であった」はご存知のように川端康成。 |
宮崎繋がりで、、、。
たまたまだったけれど、ゴールデンラジオの火曜のキャスター 山本モナが「崖の上のポニョ」の話をしていた。話を聞いている限りはポニョは半漁人で、かなり怖いイメージだった。そして、「あれは人魚姫のパクリ」というくらいの勢いで語っていた。ああいうこと言うとまた批判が来ないか心配。あ、私はモナを支持してますよ、もちろん。
牛久に行ったことを話したら、かなりオツなモツ焼き屋さんがあるんですよ、と、内房グルメガイドを執筆したナッキーさん。うーむ。知らなかった。つーか、牛久ってあんまり行かない場所なのだ。でも、そのモツ焼き屋さんには是非行きたい。
自慢じゃないけれど、モツって、ブームが来るずっとずっと前から私の大好物だったのだ。(親父が若い頃から時々一杯飲み屋についていって食べていた。)
http://blogs.myspace.com/index.cfm?fuseaction=blog.view&friendId=
1004361155&blogId=497863804
(↑)ナッキーさんのページ
左: | 夏の田んぼはそれでいてどこはかとなく寂しいのだ。
太陽は容赦なく照りつける。 | 右: | ニッポン放送木更津送信所。今から35、6年前に埼玉のほうからここに移転してきた。当時はびっくり仰天の100KWのパワー。 |
まだ梅雨は終わっちゃいない。あと半月くらいしたら本格的な夏がやってくる。
2009/7/8
My Sweet Lord
思い違いも甚だしいと後年恥をかくが、まさにジャージ・ハリソンの「My Sweet Lord」がそれに当たる。私は正直言って、かなりいい歳になっても、「My Sweet Road」だと思っていたし、ギターを弾きながら、そう歌っていた。もっとも、「Lord」と「Road」の発音がちゃんとできるわけではない。英語をちゃんと話せる人の前では歌いたくない。
80年代はじめの頃、NHKのFMでアーティストが1時間の番組を交代でDJをやるような番組があった。その頃、エアチェック(今や死語?)をよくやっていたので、その番組を録音したカセットがいくつか手元にある。今や絶対にメディアに出ないようなアーティストの声も入っていて懐かしい。その番組のアーティストがすごい思い違いをしてくれていて、これが今聴くと、非常に楽しい。某大物アーティストは、その頃流行始めたYMOの「テクノポリス」のことを語り始めたのは言いのだが「テクノポリス」を「技術警察」と訳していた。冗談っぽいけど、かなり真面目に言いきった。
それって、生放送じゃないから、後で編集も出来たんだろう。いや、でも、言えなかったのかも。ディレクターよりもそのアーティストのほうが偉かったんだろう。更に同じ回で、彼は「スター・ウォーズ」という映画のことを一所懸命話していた。ところがだ、彼は「スター・ワーズ」と連呼していた。もちろんスペルが「WARS」だからローマ字読みなら間違ってはいない。しかし、卑しくも(笑)ロックやってる人なわけで、「ワーズ」はないだろうと当時の馬鹿な私(今でも)は思うのだった。ま、こんなのは序の口で、英語の思い違い、知識不足は至る所にあるのだ。
昨今ネットショップ、いわゆるウェブ・ショップがあるのが常識だ。とあるラジオのアナウンサーが2年前くらい前まで、ウェイブ・ショップと言ってた。おそらく「WAVE SHOP」と思っていたのだろう。身近なところにもそういう人がいた。彼は「ネットサーフィン」をやる場所だから「ネット」は「WAVE」で当然だと思っていたのだ。そういうのって笑い話で済ませることが出来ない。「意味深長」という四文字熟語はついつい「意味慎重」と書いてしまう間違いやすい代表格だからしょっちゅうクイズ番組などに登場していた。それはかつての話。今や、逆に間違える人がいないからうっかりと間違えると恥をかく。「興味津々」というのも同様だな。
さて、なぜこんなテーマで話しているかといえば、昨日行ってきた東武ワールドスクエアで、やはり恥ずかしい思いをしたことを思い出したのだ。「サグラダファミリア」というスペインの有名は建築物のレプリカが展示されている。息子が「サグラダ」を「サクラダ」といい間違えて、それを母親(つまり私の妻)に注意されていた。そのときに私は何も言わなかったが、一瞬ぎくっとなった。私もかつては言い間違えて(単に間違って覚えた)、赤っ恥をかいたことがあったからだ。それも、かなりの人がいる場所で。
未だに色々なところで恥をかきながら生きているわけで、それはどうしようもないことなのだ。(笑)
# 東武ワールドスクエア、やはり凄く面白い!!
# もう一回行ってみたい。
2009/7/6
餃子の王将
この不況下にあって、元気の良い企業として度々テレビに登場する機会が多い。
私は一昨日、宇都宮で餃子を食べたのにも関わらず、また餃子だ。(笑)
餃子って、食べ飽きないよね。
2009/7/7 |
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ホワイトアルバム
ビートルズの中で何が一番好きなアルバムか、というインタビューで私は、ちょっと間を置いてから、「強いて挙げれば『アビイロード』かな?」と言った。きっとビートルズファンだったら私同様こういう質問は苦手だと思う。あるいは、「全部(好き)」というのが正解なのかもしれない。初期と後期に分けて質問してくれるとまだ迷いが少ない。例えば初期だったら間違いなく『ヤア!ヤア!ヤア!(A HARD DAY'S NIGHT)』を挙げている。もちろん『Help!』もいいので、「あ。でも・・・。」と語尾を濁してはいる。結局、まともな返答が出来ない。
『ヤア!ヤア!ヤア!』は1964年の作品。私の特に好きな『テル・ミー・ホワイ』が入っている。1964年といえば、東京オリンピックの開催年であり、新幹線が営業を始めたのもその年である。日本では美空ひばり『柔』、坂本九『明日があるさ』、村田英雄『皆の衆』、都はるみ『アンコ椿は恋の花』、ペギー葉山『学生時代』が流行っていた。そんな時代にあんなにレベルの高い音楽を4人の若者がやっていたというのが信じられないし、それを受け入れたイギリスの国民性も凄いものだ。私はまだ幼くて、洋モノなど聴く術も無かった。
その5年後の1969年、ビートルズは『アビイ・ロード』をリリースしているが、ホワイトアルバムは、その1年前、つまり1968年のリリース。ホワイトアルバムは2枚組みで、ジャケットには何も印刷されていない(エンボス加工あり)という斬新なデザインだった。ただ、当時(といってもビートルズをきちんと認識できた約2年後)の私はそういうセンスが微塵もなくて、「なんだこりゃ!」とやや怒り気味だった。写真が出ていないのは嫌だったし、2枚組みで高いのも敬遠する原因だった。友達が持っているのに、自分はなかなか買えなかったので、大きく差がついてしまった。ホワイトアルバムを聴かずしてビートルズを語るなかれ、だ。私は後年、そのときにちゃんと買ってればよかったと大きな後悔をした。
ホワイトアルバムは曲数も多いし、名曲も多い。先ほどの「アビイロードが一番好き」というのを早くも撤回するけれど、ホワイトアルバムも実に凄いアルバムだ。私が大好きな『アイム・ソー・タイアード』もこの中に入ってるし、『ジュリア』や『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』もある。『ヤー・ブルース』や、『ヘルター・スケルター』などまだ世間ではついてゆけないような雰囲気の曲もあった。私はそういう曲は実はあまり好きじゃなかった。良さが分かるのにはそれから10年を要している。情けない。
そして先日、TSUTAYAでこのホワイトアルバムを借りてきて聴いている。うるうる。
ところで、昨日、久々に映像が公開された北の将軍様だったが、かなり衰弱しているのが分かる。大丈夫か、北は。将軍様は67歳。67歳というと、なんとポール・マッカートニーと同い年である。え〜〜〜!?
そう考えるとポールって、めちゃくちゃ若いよね。最近の歌唱だと思われるYOUTUBEの映像観ると、声も殆ど衰えていない。たいしたもんだ。
それから、先日、どこかの大衆食堂のテレビで、若かりし頃の関根恵子(今は高橋恵子)の映像が流れていた。舞台をすっぽかして恋人と失踪、謹慎を経て、女優に復帰する記者会見の様子だ。記者から相当きつい質問を浴びせられていたが、控えめながらもしっかりと受け答えしていた関根に感心する。しかも綺麗だし。その中で凄いなと思った質疑応答が以下。
「貴女は、恋と女優と、どちらかを選択しなければならないと言ったら、どうなんですか?(また失踪するのですか?)」
「私にとっては、水と空気のどちらを選ぶかという選択と同じです。どちらも大切なものです。」
ビートルズのアルバムで一番好きという質問に対して、そう答えればよかったか。(笑)
写真は小浜氏のいる白い家。ホワイトアルバムが話題なので、無理やり・・・。ちょっと強引すぎるか。
2009/7/10
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2009/7/10
しばざ記 698 |
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