「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
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エステシティ秋祭り2011
いつもお世話になっているエステシティ海浜幕張の秋祭り。
今回は、ベイタウンから「カ マカニ オ ウタセ」が出演した。



朝方猛烈に雨が降っていたので、果たして今日はどうかな、なんて思っていたら、いい天気になった。今日は、エステシティの秋祭りで田中君と一緒に音響の担当。

ステージの出演は、ベイタウンから、カマカニオウタセ(フラ)と、がじゅまる座(沖縄民謡&舞踊)。上はカマカニオウタセのフラ。いいね!!右から2人目が渡邊先生。

そうそう、エステシティのスタッフの方々が口々に「先生に打ち上げに出席してほしい」なんておっしゃってましたよん。










(↑)YOUTUBEにもアップ。

チーバ君も来てたですね。


(↑)がじゅまる座の演奏と踊り。

手持ちがきつかったので、これともう1曲しか撮ってない。
もうひとつのほうは、また時間のある時に、気が向いたら、アップする予定です。すみません。


(↑)動画じゃないけれど、全曲を録音したので、YOUTUBEにアップしました!!

涙そうそう、とか、花などのヒット曲も有り。

沖縄民謡っていいですね!!



(↑)ロケ弁。(プクプクの弁当。)
ごちそうさまでした。

そうだ、今日、カーキーズで安売りやってて、パンを買った。
これからもやってほしいっす。


2011.10.22

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みなとみらい

これまでクルマで行くことが多く、しかも、通り過ぎることが多かった。
先日は、パシフィコ横浜からクィーンズ・スクエアを歩き、そしてランドマークタワーへ出て、それから日本丸の脇を通り、という具合にずっと歩いた。

そして初めて、知った。その一帯、つまり、みなとみらいって凄いっすね。賑わってるし、お洒落だ。ハードロックカフェもあるし、遊園地もあるし、大きな帆船だってある。カップヌードルミュージアムだってできた。神奈川で一番大きなターミナル駅の横浜駅だって、まあまあ近い。幕張新都心における幕張ベイタウンに相当する住宅地も近接している。

幕張メッセ界隈とみなとみらいはよく比較される。大きな展示会場があるという点では、みなとみらいも、幕張新都心も同じ。海に隣接しているのも同じ。でも、決定的に違う点は、あちらは後背地に大都市がある。こちら幕張はそういうものが無い。だからだろうか、随所に人がいた。幕張はイベントがある日はもちろん人出は多いものの、駅からメッセへの動線以外はあまり人がいない。

ま、だからと言って、単純にみなとみらいを羨ましがっているわけじゃない。幕張のこの質素な雰囲気というかパラパラ感は嫌いではない。イベントの無い土日の幕張新都心のあの空虚さ。アウトレットモールに外部から来る人で駅前だけはどうにかこうにか人は多い。でも、ビジネス街まで足を延ばすと、素敵な静けさがある。

2011.10.23

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昔のバンド仲間から・・・

私が下北沢に近い住宅地に暮らしていた二十代の半ばから後半、下北沢で八百屋とかブティックとかの店をやっている人達や、私のように田舎から出てきて、都心の職場に通うサラリーマン達とバンドをやっていた。時々、深夜のライブハウスで練習を兼ねたライブなどをやらせてもらっていた。メンバーはほぼ固定。でも、店をやっているメンバーについては繁忙期には殆どバンド活動は出来ず、仕方ないので、トラがそこかしこに登場した。

そのバンドは、私が千葉に引っ越しするのを機に自然消滅した。メンバーともいつの間にか疎遠になる。何年か後に下北沢に行った際には、例えばギルモアばりの情緒豊かなギターを弾くY氏の経営していたお店が無くなっていたり、ドラムの八百屋のK氏の店を覗いても、それらしい人物は居なかった。そうなると、あのバンドのメンバーとは誰とも連絡が取れない。当時、携帯電話が無かった時代だし、固定電話もあまり使わなかったから、個人の連絡先を控えてなかったからだ。

おっと一人例外としてH田氏がいたな。10年くらい前まではごくごくたまに電話のやり取りをしていた。でも、彼も今ではまったく音信不通。(これ読んでいたら連絡ちょうだい!!)

昨夜、ケータイが鳴った。登録していない電話番号が表示された。

超久しぶり。あれから三十年近いのではないか。ボーカルのY澤氏だった。財津和夫っぽいルックスが目に浮かぶ。私のこのブログを見て、そして、いろいろ調べて電話してきてくれたのだ。今彼は故郷の姫路にいるという。私が都内から千葉に引っ越した二年後に脱サラし、姫路に帰り家業を継ぎ、しかし家業が思うように行かなかったので、地元から通える会社へと再就職したと言う。

話はあれこれ弾んだ。バンドは一切やっていないそうだ。二人の息子さんのお兄ちゃん(と言っても現在は社会人)がバンドをやっているようだ。親父がまったくバンドをやっていた片鱗を見せたことがないのに、蛙の子は蛙なのだ。息子さんは二人とも大阪に住んでいる。それぞれ、一応独立しているから、つまり、一応、親としての役割を終えているので、老後はまたバンド活動しようかな、とY澤氏。

約20分くらいだろうか、色々語らった後、今度会わないか、などという話も無く、通話は終わった。

2011.10.23

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ネットで簡単にコミュニケーションできる時代なのに・・・

上の記事の続き。

我々世代では、ネットを気軽に、日常の連絡手段として使っている人は、おそらく70パーセント(私の知っている範囲で)くらい。しかし、それは仕事も含んでのことなので、プライベートで、普通に使っている人はごく少ない。驚いたことに、ケータイを持っていない者(知人)も少なくないし、もちろんケータイメールだってやったことが無いという知人もいた。

逆に、70代くらいの人は盛んにパソコン教室などでネットの使い方をマスターしていて、そのネットを介してのコミュニケーションも充実している。むしろ我々の世代よりも盛んなのだ。というよりも、我々の世代、つまり50代って、どういうわけかネットをやる人間と、まったくやらない人間と二分化しているような気がする。

何故か?

それは、ネットが気軽になってくる頃にはもう会社の中間管理職辺りになっていて、自らネットに関わる機会が少なかったということが原因ではないかと思うのだが、どうなんだろう。それと、今みたいに社会人になったときにネットがあったわけじゃないので、ネットに対してのなんというか、ネガティブな考え方も多分にあったんじゃないか。そこらへんはもうちょいと深く考察したい。続きはまた後日。

2011.10.23

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2011/10/22〜23
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