還暦になっちまった老害予備軍による戯言
ブログ的なページですが、自分向けの備忘録の色合いが濃いです。すみません。
筆者は幕張在住のじじい。初老とは言いたくない。あくまでもじじいです。(笑)
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「いきなり京都(その2)」
三年坂の周辺を歩く。八坂の塔は写真では目にしたことがあるが、肉眼で見ることが出来て感激。またその周辺も京都らしい風情が漂っていてまことに嬉しい。
スマホ版 = http://shibazaki.sblo.jp/article/189836133.html

さくいん: いきなり京都 / 五条大橋の辺り / 30年ぶりの清水寺 / 三年坂から八坂神社〜知恩院へ / 八坂神社 / 知恩院 / にしんそばを食べる / 南禅寺の辺り /
 平安神宮 / 三条大橋周辺 / 福乃の鯛めし / 嵐山へ / たこ焼き食べて夜の京都を徘徊 / 夜の祇園花見小路 / 幕張に戻る /


三年坂から八坂神社〜知恩院へ


霊応山法観禅寺 八坂の塔

清水からいわゆる三年坂というような地域の路地を北上したらここに出くわした。
おお、これはなにかのメディアで見たことがある。

いきなり出くわしたのでびっくり。
しかも、清水にあった2つの塔はいずれも三重塔。
こちらは五重塔だ。

知名度はどうなんだろうね。

でも三年坂というのは聞いたことのある響き。

Wikiによると、元々は産寧坂(さんねいざか)というらしい。
なるほど、なるほど。



八坂の塔から京都市街を眺める。

この辺りは広い道が無い。





八坂の塔に面したところにある土産物屋など。

風情があっていい。



何気なく、お面が飾ってあるが、ここに「撮影禁止。撮影は有料」と書いてある。
知ってか知らぬか、若い男性がカメラを構えたら、さっそくおばちゃんのような人に怒られた。
こちらから見えぬが、おばちゃんはしっかりと見張っているようだ。(笑)



少し山側へ坂を昇る。

といっても、そのおばちゃんに怒られる家屋のお隣だけど...。(笑)

ここはお茶屋さんだな。
お金持ちじゃないと遊べないところ。

ほんの一時期だけど、ワタスもこういうところに出入りしていた時がある。
バブルの終わりの頃だ。



更に山側へと昇る。

おお。
このアングルもなかなかいいねえ。



更に昇る。

おお、渋い。
この感じ、なにかのパンフレットで観たことがあるな。きっと。

今度は下る。



さっきのお茶屋さんのところ。

タイミング良く人力車がやってきた。
絵になるなあ。



再び五重塔の前まで戻ってきた。
人が徐々に増えだしてきた。

ここから、横道に入り、八坂神社の方面へ移動する。





小さな寺院。



この辺りも風情のある建物が続く。
本当にいいところだ。



午前11時。
豆腐料理の店。

タイミングが悪いなあ。
お昼頃だとここだったらよかった。
まだ満腹状態。

一旦、東大路通りまで下る。
そこから北上。
八坂神社を目指す。

本当は二年坂、三年坂の周辺をもっと細かく歩いてもいいのだけど、もっと色々なところに行きたいので...。



東大路通りはさすがにバス通りなので、大型店が多い。

この辺りの写真は割愛。



おー。懐かしや、八坂神社。
ここも十年以上は来てないけれど、しかし、この周辺はよく通ったので、京都でも一番慣れ親しんでいる風景かも。

これは西楼門というらしい。

祇園の交差点から見上げる。



門の上からの眺め。

祇園の交差点のその向こうに四条通り。
京都で最もポピュラーな場所。

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境内から見た西楼門。



本殿。
門からそれほどの距離は無い。
門に対して90度。
そして南向きの建物だ。

まあ神社にしたら大きい建物なんだけど、東本願寺とか、これから周る知恩院や南禅寺などの巨大さから見ると程よいスケール感が逆にほっとする。(笑)





お参りする。

お参りと言っても具体的な願い事が浮かんでこない。
実は殆どそうなのだ。

ま、いいか。



この境内、修学旅行生は多少いるものの、そんなに混んでいない。
みんなのお目当ては、清水寺、金閣、銀閣、京都御所、嵐山、そっちのほうなのだろうね。
つまりこの八坂神社、その奥の円山公園はちょうどよい穴場になるのかな。
ワタシはこの辺りは好きだけどね。



八坂神社の奥、というか、隣地は円山公園。

かなり広い。
ここも見どころありそうだけど、でも、やはり隣地に知恩院があるので、そちらに移動。

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ここから知恩院となる。

その先は広場で、ほぼ90度左に曲がったところに巨大な正門(?)が待ち構えている。



で、で、でかい!!!
あまりにも巨大。

ここは以前来たことがあるけれど、こんなにでかかっただろうか。
想像を絶するというのはこういうこと。

というか、ワタシの情けない記憶力のプアさに絶句した。



ちょっと別アングル。

笑ってしまうくらいでかい。
なんというか、昔の寺院の権威の凄さを感じずにはいられない。

その頃の時代にワタシがいたら間違いなく下人とか、そんな感じなんだろうね。

知恩院のスペックは...。うーむ、実はあまり知らない。
なので、Wikiより。(以下)

- - - - -
知恩院(ちおんいん)は、京都市東山区林下町にある浄土宗の総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。本尊は法然上人像(御影堂)および阿弥陀如来像(阿弥陀堂)。開山は法然である。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。

浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。なお他流で門跡に当たる当主・住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。
- - - - -

法然上人かあ。
高校の時、何度も暗記したのに、すぐに忘れた人だ。(笑)
そして、今もこうしてWikiを観て、そして書きとめても、おそらく数時間後に忘れてしまうな。



とにかくこの大きなというか、とんでもなく広い石段を昇る。



門のところまで辿りつく。
最初の石段もちょっと大変だったけれど、更に奥に石段があるのが見える。

結構、大変そうだ。

そういえば、清水寺でほんの少しだけベンチで休んだきり、ずっと着座していなかったので、ここでも小休止。

この門の向かって左のほうの石段の最上部に腰かけて、汗を拭く。
わー、ちょっと絵になる。
と、自分で言ってる。
写真、無し。

今回、もう一泊を予定しているので、色々と着替えを持ってきているが、このくらいの汗でいちいちTシャツを着替えるわけにはゆかない。
でもでも、今日は晴れているものの、そう暑くはない。
湿度も低目なんだろうか、爽やかな感じ。

ラッキーだ。

ワタシが座ったからか、右側のほうに中高年の男性が座った。
ワタシと同様、ひとりで旅しているような感じ。

あ、いや、少し経ってから御夫人がゆっくり昇ってこられた。
なるほど。
ワタシみたいなひとり旅はそう多くないのかもしれないな。



説明書きがあった。

この巨大な門は、三門というのか。
しかも、国宝だ。
二代徳川将軍の秀忠の寄進とある。

そうなんだ。
厚い庇護を受けていたんだな。

納得。



さて、これからここを昇る。

でも、小休止したから大丈夫。
水分も三年坂の辺りで買った500mlのペットボトルがあるので大丈夫。

そういえば、腹すかないなあ。
ま、いいこと、いいこと。

それよりこういうアップダウンを想定していて、アルコール類は飲んでいない。
今日の後半にがぶ飲みする予定。(笑)

緑が美しい。
紅葉の季節もいいだろうな。

また来れたらいいな。



石段の途中から先ほどの山門を見下ろす。

しかし、本当に巨大。



本堂。
もちろん、巨大。

巨大なんだけど、そろそろメモリーも気にし始めた。
電池も。

大丈夫かなあ。

おっと、この本堂、本堂には間違いないのかもしれないが、御影堂という名称が正式のようだ。

この建物の裏側にも、それから、もうちょいと標高の上がったところにも色々と建物があるらしいが、今回は割愛。
大鐘楼もパス。



阿弥陀堂。
これは御影堂のすぐ近くに建っている。




ちっとこぶりな塔。
名称は分からず。

知恩院のHPを観てもわからなかった。

さてここで知恩院を出る。
少し腹がへってきた。



知恩院の境内に沿って北へ向かう。



この知恩院に接する道路はなかなか風情があっていい感じ。

この道をそのまま北上すると神宮道になり、岡崎公園を経て平安神宮に至る。



ここも知恩院の並び。



行く手に巨大な鳥居。

平安神宮のものだ。

ワタシはその手前の交差点を右折して、まずは南禅寺の方面へと向かう。
その前に食事だな。

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にしんそばを食べる


三条神宮通りを右折し、南禅寺の方向へ歩く。

この道沿いにも古びた家が並び、そして木造の古民家や古い店舗をリノベーションした店舗がいい感じ。



小さな稲荷神社。



ふと見ると、うどん屋を発見。
いい感じに古ぼけている。

時刻は12時ちょっと過ぎ。
最高のタイミングじゃないか。

丼ものもあるみたい。
そばはどうかな。

そう、それだ。
にしんそば。
メニューにあれば食べてみたい。

有名店じゃなくて、地元の人達が食べるにしんそば。

店に近づいてみる。



近づいて、食品サンプルのあるショーケースを覗いてみる。

本当は別撮りしたかった。
忘れてしまったよ。

なので、全体像の中のトリミング。

でもちゃんと読める。

一瞬「にしんそば」の文字に気づかなかった。
でも値札だけあった。

引き戸を開けて中に入る。



だいたい想像したけれど、店内も相当古ぼけている。

大丈夫かよ、と思うが、いいのだ、いいのだ。
気にしない。

それよりも、にしんそば、にしんうどんの文字が目に飛び込んでくる。

いや、それよりも、ビールだ。
ビールを注文する。

お値段は忘れてしまったけれど、600円くらいだったか。



わ。
なんだこれは。

まじか。

ビールは、これだった。
缶だよ、缶。

やばい。

しかし、キンキンに冷えている。
旨い。

ま、それでよし。

こんな素晴らしいシチュエーションで飲めるビールは最高。

店はお父さんとお母さんでやっている感じ。
ワタシと同じ六十代の半ばくらいだろうか。

おそらく先代から店を引き継いだんだろうね。

「にしんそばください。」と言うとそれほど大きなリアクションはなく、お父さんとお母さんがほぼ同時に返事をしたような気がした。

少し待つ。



10分ほど待つと、出てきた。

うん、ビジュアルは普通っぽいね。



そばは見た目からして手打ちではなさそう。

ゆでめんだな。

でも、きにしない、きにしない。

スープは、まあ、普通。
ニシンの旨味がにじみ出ていて旨い

にしんはたぶん身欠きにしんの煮たやつのパックなんだろうね。

ま、しかし、旨いぞ。
きっと四条河原の有名店よりも旨いんじゃないのなあ。

そうに違いない。

そばをすすっていると、四十代くらいのお母さんが来て「すみません、何時までやってますか?」と言った。
お店の人がごにょごにょ何言ってんだか分からない返事をしたら、その後、「4人なんです。大丈夫ですかね。」と...。
今度は店のおかあさんが、「はい。大丈夫ですよ。お待ちしてます。」と...。

ま、結局、店内の客は終始ワタシだけだった。

ご馳走様。

おっと、ぶっきらぼうだと思ったお二人だけど、気持ちよくお見送りしてくれた。

いい店だ。

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南禅寺


三条通りを東にどんどん歩いてゆくと、東のほうの山がぐっと近づく。
そろそろ南禅寺なんだっけ?

いつの間にか左右の小さな民家が途絶えている。

あ、それで、この辺りに来たら歩いている人もぐっと少なくなった。



都ホテル。
立派なホテルだ。





蹴上発電所。

日本最古の水力発電らしい。

琵琶湖疏水に関連があるとは思ってたけれど、ここがそうなんだな。
今回初めて認識。

こんな建物があったことは昔からなんとなく知っていた。



地下鉄の蹴上駅。

蹴上発電所の雰囲気がそのまま。



ねじりまんぽ。
蹴上駅のほぼ斜向かい。



「まんぽ」とは、いわゆるトンネルという意味。
つまり「ねじりのあるトンネル」という意味。



複雑な造りのようだ。

とにかく向こう側へと進む。



蹴上インクライン (写真はネットから... すみません)
この"ねじりまんぽ”の上ってどうなっているのか、まったく知らなくて、この名所があるのを見過ごした。
うーむ、そうだったのか。
琵琶湖疏水は単に水を引いていたのではなく、舟運としても利用していたのだ。
ああ、完全に知らなかった。
いや、そういうのを何かから学んでいたとは思うがまったく頭に無かった。

そして、高低差のある約600mは舟を台車に乗せて、この線路をケーブルカーの要領で移動していたらしい。

そうなんだ、そうなんだ。
ああ、残念。

またここを訪れなくてはならない。
まあ、今回も南禅寺から哲学の道を通って銀閣に行くのを割愛しているから、どっちにしろまたこの辺りは訪れたいな。



トンネルの先は南禅寺の方向に自然に向かう。
右側は切通しのようになっているが、その先はおそらく南禅寺の関連の小さい寺院が並ぶ。

左側も寺院っぽい屋敷なのだが、地図を観ると、〇〇庵となっている。
料亭なのかな。

料亭にしては看板が出ていない。



智水庵か、大寧庵。

残念。
智水庵は、左隣だった。

智水庵は元ZOZOの前澤さんが別荘として数十億で購入したという噂。
噂というか、地元の人が言っているそうで、かなり信憑性は高い。

しかし、やるなあ。
前澤さんのお友達だったら、そこで一杯なんてことに...。
いいなあ。



更に行く。

こんな雰囲気なのだ。



ここは、南陽院???

拝観料がかかるようだが、軽くスルーしてしまった。

庭園が美しいらしい。



そして南禅寺へと...。

おお。
懐かしい。
ここも少なくとも30年以上ぶり。
いや、ヘタすると40年ぶりかなあ。

前述のように南禅寺周辺を訪れたのは比較的新しい。
あ、それにしても20年ぶりかもしれない。



南禅寺の三門。
こちらも大きい。

しかし、知恩院の三門に比べると、こぶり。
こぶりと言ったって、これが関東のどこかにあれば、間違いなく周囲で一番の大きな建造物になる。
それも桁違いに。



南禅寺も緑が綺麗。



反対側から三門を観る。
繰り返すが緑が綺麗。



前方に見えるのが法堂。
いわゆる本堂にあたる。



こちらもなかなか凄い建築物だな。
スケールといい、質感といい。



更に近づく。

本当に素晴らしい。

なにがどう素晴らしいのかはちょっとうまく説明できないけれど、とにかく凄い。

この建物の後ろ側にも色々な建物があって、実は国宝級のものなどの品々もあるらしい。
今回は割愛。

というか、琵琶湖疏水の煉瓦の橋脚というのか、それを早く観たくて、そういうのを端折ってしまった。


疏水に向かう時、南側に少しまわり込んで観た法堂。

ところで、南禅寺が何故有名で、しかも観光スポットとして人気があるかというと、禅寺としての格式が全国で一番高いということと、前述のように国宝があったり、庭園が見事だったり、色々あるのだが、もうひとつは、境内の奥にこれから訪れる疏水があるからだ。
おっと、そのレンガ造りの水路は、水路閣というらしい。
うーむ、本当に勉強不足。



南禅院の方向、いや、水路閣の方向へと移動。
この辺りの庭園も見事。



ここだ、ここだ。

階段を昇ると南禅院。
そこも本当はしっかりと観てゆかねばならないところだけど、今回はパス。
次回だ、次回。

と、言い訳している。
きちんと予習していなかったのが悔やまれる。

というか、まあいきなり京都だからしょうがない。



水路閣。
それにしても素晴らしいビジュアル。

この上を疏水が流れている。



カメラの露光の設定を間違えてしまった。
もっと重厚な雰囲気だった。

ああ、こういう被写体だったら、やはり一眼レフを持参したいな。
あ、だめだ。
重いからな。

最近、ほんと、一眼レフを使ってない。
それにしても改めてRX100は本当に便利。

因みにRX100M3を使っている。
普段は、初代RX100。
僅かだけど後継機種よりサイズは小さい、重量が小さい、その2点がありがたい。



もういっちょ、別アングルで。

実は、ここでたくさんシャッターを押した。
これが致命傷で、後半、今日の夜の部のメモリーが無くなった。
and バッテリーの残量もかなりヤバくなった。

でもここは一番の見どころだからしょうがない。

三十年前にはたぶんまったく写真を撮ってなかったし、記憶も薄れている。
今、デジカメがあるからこうして写真を残しておけるし、そして「しばざ記」にアップ出来る。
文明に感謝。



水路閣の下も観光スポット。

次々に記念写真を撮る人が...。

プロの音楽アーティストさんのプロフ写真もここで撮ったなというものが多い。



この疏水の凄いところは、標高差を利用して水を本来とは反対方向へと流していることだ。
つまり京都盆地のの殆どの水は北から南へと流れるのだが、琵琶湖疏水だけが北に向かって流れる。
凄いことだ。



向こうが北。
ずっと行くと哲学の道の方向。

それにしても明治時代のこの一大事業は凄かったなあ。
まさか琵琶湖の水を引いてしまうんだからな。
感慨深い。

わー、これも見落としたが、蹴上乗船場というところがあるのだ。
そこから舟が発着していたようだ。
うーむ、こりゃまた行かなくてはならない。

疏水記念館も、それから琵琶湖側のほうもいずれは行きたい。



再び南禅院をチラ見してから山を下る。



ここはなんだっけ?

ちょっと忘れた。
南禅寺の境内の中、ひとつの寺院。



三門の北側の道。

白い壁の中も南禅寺の関連寺院のようだ。



振り返った景色。

誰も歩いていなくて静寂を楽しめる。

いいなあ、ここ。



この辺りの庭園も素晴らしい。

むこうに見えるのは、三門(左方面)への参道。

ここで、南禅寺の境内を出る。
そこから、なんとなく行ってみたいと思っていたのは、南禅寺の近辺にある京都随一の高級邸宅街。
その辺りを歩き回ろう。
ちょっとだけだけど。
実は、ちょっと知った邸宅が2、3ある。
場所は定かじゃないけれど、なんとなく行ってみたい。

その後で、平安神宮かな。
平安神宮は行ったことが無い。

そうだ、そうだ、南禅寺の門前辺りにある豆腐料理の店、今回訪れてみたい候補に薄らとあった。南禅寺と言ったらやはり豆腐料理だもんね。
だがしかし、にしんそばを食べてしまったからなあ。
もう夕方になるまで何も食べられない。
あるいは、よほど歩き回ってカロリーを消費しないとな。

仕方ない。



南禅寺を出て少し北側に移動。

おそらく琵琶湖疏水から流れてきているであろう澄んだ水が流れる水路があった。



緑が多い。

この辺りは京都の中でも屈指の邸宅街。
緑に覆われている。

表札の無い建物もあって、どなたの持ち物なのか判別がつかない。
となると、ワタシがかつて訪れて大きな邸宅も見つけるとは難しいかも。

でも、一応ざざっと歩いてみる。



素晴らしい環境なのだ。



必ずしも個人所有の物件だけではない。
おそらくこのようなとんでもなく広い敷地の邸宅は有名企業の迎賓館的な使い方をされているのかもしれない。



黒塗りの高級車がたくさん通る。

さすがです。

もっと歩き回りたいけれど、次に行きたいので、この手前に現れる平安神宮へ向かう神宮通りを北側へ向かうことにする。



神宮通りに出来ている行列。
古民家活用のラーメン屋のようである。

店のスタッフさんが日除けの傘を渡してくれた。
素晴らしい気遣い。

そうそう、気温が上昇してきた。

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平安神宮


13時26分。
神宮通りの突き当りに平安神宮がある。

いやいや、この建物も巨大だ。



ヘンな顔。

平安神宮の境内で自撮りしてみた。
なんじゃ、こりゃ!
ですな。

すみません。




いやいやいや、ほんと、素晴らしい。

お寺さんとはまた違ったテイスト。
当たり前か。



門をくぐり境内に出会うと、そのあまりの広大さにびっくり。

なにも無い広大な敷地の贅沢さ。
ほんと、凄い。

こんな真っ平な大きな広場をつくるというのは凄く難しそうだな。
それにメンテナンス。

建造当時の技術ってほんと凄いね。



ここは本殿かな。

あまりにも立派なので、遠くで観て満足しよう。
つーか、あそこまで歩くのがちょっと面倒になってきた。
そろそろどこかで休憩したい。
くぃっとビール飲みたい。

ま、一応来たので、写真はバシバシ撮っておく。

ご祭神、つまりまつってある神様は、第50代の桓武天皇と、121代の孝明天皇。

創建由緒は...(下記の通り)

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。
 当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。
 その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。
 これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。
 千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。
 その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。

ややや、つまり、明治の創建だったんだね。
道理で新しく感じた。

つまり本殿前の真っ平な広大な敷地は明治に造られたわけだ。

でもそれにしても大変な工事だったんだろうな。



本殿の両脇にはこんな建物がある。

これだけでも凄いよね。



これは虎??



中側から観た門の一部。

この辺はそれなりに古さが出ている。

それにしても平安神宮はそうか、明治の創建なんだぁ。
ちょっと残念。

平安って名乗って以上、平安時代だと思ったのになあ。

平安神宮の前の神宮通りを南下する。

あ、ここで訂正。
平安神宮へ向かう時に歩いた道は神宮通りじゃなくて岡崎通りでした。
申し訳ない。

伏して訂正いたします。

と、思ったけど、この時点でここに書いて元の文章はそのままにしておく。
面倒なので...。m(__)m



これは素晴らしい蔦屋書店。
カフェになっている。

寄りたいけれど、ビールを飲みたいのでパス。

でもこの辺りって居酒屋が無さそう。(笑)



振り返る。

少しずつ遠ざかってゆく平安神宮。

また会う日まで。

でもおそらくもう来ないだろうな。
残り少ない一生なもんで、今度来るときは今まで行かなかった京都へ行きたい。

そう考えると別れが惜しい。



京都市京セラ美術館。

入ってみたいが、ビールを優先。



堀??

仁王門通りに面したこの水路も疏水から水を引いているのかな??

神宮通りを三条通りまで南下し、そして三条通りを西へ。
繁華街を目指す。

さて、どこでビールを飲もうかな。



坂本竜馬とお龍の結婚した式場跡だって。

三条通り。



白川??

琵琶湖疏水からの清流が流れている。

じれってしょっちゅう掃除してるんですかねえ。
ほんと、綺麗な水。



三条通りに出てくる古い民家や店舗。

こういうのが無かったら京都に来ていることも忘れてしまいそう。



古川町商店街。

ここいいなあ。
手前の右に昼呑みの提灯があるけれど、ここはパス。
せっかくなので、もっと京都らしいところで飲みたい。

というかこの路地、凄く気に入ったのだけど、まだ時間が早いからか、それとも平日だからか、殆どの店が閉まっていて選択肢が無い。

むむむ、ビールはお預け。
幸いなことにそれほど喉も乾いていない。

もうちょっと頑張って、先斗町辺りへ行きたい。




三条通りから、少し入ったところにある大将軍神社。

ネーミングに引かれて...。



それほど大きくない本殿。

由緒はどうなっているのだろうか。

ネットで調べたが、有名なのは上京区一条通御前通西入3丁目西町55の大乗軍八神社。
そうなんだ。
で、こちらの大将軍神社の説明はあまりなかった。
祀ってあるのは大将軍様。

うーむ。



籠細工の店「籠新」。

江戸時代から続いているようだ。

2022.5.25

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2022/5/25
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