「俺たち2」管理人による遠距離通勤電車マガジン

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高円寺 次郎吉に20年ぶりに行く
KRONIZCKのJIROKICHI初出演

高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪といえば、下北沢が学生の町であり、若者文化を発信する町として脚光を浴びる前までは最もポピュラーな町であった。と、私は解釈している。確かに当時も下北沢辺りは芸術というか文化を求める若者達で賑わっていたことは確かだが、特に高円寺における音楽文化に果たしてきた役割は大きい。駅周辺に点在するライブハウスや、ロック、ジャズを専門に聴かせるいわゆるロック喫茶、ジャズ喫茶の数の多かったこと。

その高円寺のライブハウスの中でも代表格であった次郎吉。今ではJIROKICHIと横文字の店名になってしまい、往事を知るものにはややくすぐったい感がある。

2002年8月1日。私はここに実に20年ぶりに訪れた。以前出入りしていた頃はまだ20歳そこそこのガキであり、水割り1杯で何時間も過ごしていた貧乏極まりない時期でもあった。だから、ライブなんて、そうちょくちょく行けるわけでもなかったので、次郎吉にまともに行ったのはそれほどの回数ではないはず。ただ、当時は無名であったアーティストのライブはせいぜいチャージが500円程度だったと記憶している。

今夜の出演者は、栗本修とKRONIZCK。目黒ブルースアレイの約2週間後であり、不定期に活動する彼らにしてみれば、このインタバルは結構アクティブなほうである。また、彼らにとってはJIROKICHIは初の舞台となる。ご覧のように、ホワイトボードに出演者名が書かれている。

ベースは前回に引き続きバカボン鈴木。個性的なプレイヤーで、ネーミング、ルックスもあいまってKRONIZCKの新しい魅力になる。考えてみれば、KRONIZCKの滑り出しの時には六川さんがベースを弾いていたし、グレッグのほかにも黒人ベーシストが登場したこともあるし、ベースのパートだけがころころと変化するのは、また楽しい。

左の写真は、現在のJIROKICHIの看板。相変わらずいい味出している。ロックは、こうじゃなくちゃ、という見本のようでもある。確か20年前には、木製の看板で、手彫り風の文字で「次郎吉」と書いてあったはず、あれもなかなか良かった。どっちかと言うと、当時人気を2分していた下北沢ロフトや、渋谷の屋根裏などのライブハウスよりもチープな感じで私は次郎吉を推していた。

店名はJIROKICHIになっても同じ場所、しかも当時と同じ紳士服の三並の地下ということもあり、二十年の歳月を感じさせない。入り口の店内もお洒落にはなったが、地下の狭い穴蔵のような感じが郷愁を感じさせる。今や大物アーティストも、かつてはこんな穴蔵から巣立っていったのだ。

そう考えると、遅咲きのKRONIZCKがまだこんなライブハウスでやっているというのは、嬉しいことでもある。売れてほしいけど、チャージが高くなってしまうのは考えものだ。

常連で出演している是方さんも、何十年も同じスタイルでやっている。ロック魂を感じずにはいられない。

店内にもうもうと立ち上るタバコの煙。天上に目を向けると、ところどころ、はがれ落ちたコンクリートの剥き出しの梁。マジックインキで至る所に落書きしてある。多分、出演記念にそれぞれのアーティストが書き残していったものだろうが、ひょっとして二十年前のものがあるかもしれない。

因みにJIROKICHIのメニューは嬉しい。いまだに安いのだ。ロックが500円、ビールが600円で飲める。最近のお洒落系のライブハウスではなかなかこうはゆかない。しかも、焼きうどん、焼きそばともある。これは嬉しい。多分、自分史上初の焼きうどんは、高円寺のどこかのライブハウスだったと思う。

もうひとつ忘れていることがあった。紳士服三並(JIROKICHIの階上)の向かい側に桃太郎寿司の本店がある。桃太郎寿司は、元禄寿司から遅れをとったものの、ネタの新鮮さで杉並、練馬界隈では人気がある。千葉に住んでいるとなかなかお目にかかれないので、懐かしかった。もっとも、この店は、私が高円寺を彷徨っていた頃の少し後に出来た。

実はライブの始まる直前、寄って食べた。うん、美味しい。(笑)



上は、高円寺の駅北口。派手なネオンが幾分増えたものの、当時と劇的に変化したものは無い。むしろ、高円寺に比べたら地方都市のほうが余程都会っぽいし、今っぽいのではないか。

右は、ねじめ正一が有名にした高円寺純情商店街。以前は、なんといったか分からない。ここもそれほど変わり映えがしない。

いよいよライブが始まった。栗本修の静かなピアノソロから・・・。

会場には栗本先生(音楽学校でピアノ講師の先生もやっている)の生徒達が集まっている。メンバー全員が四十代なのに、オーディエンスが二十代前半というのも面白い。

静かなイントロに続き、いきなりインパクトの強いセシルのドラムが鳴り始める。フットペダルを使いまるでコントラバスを弓で鳴らしたような味付けをしたバカボン鈴木のベースがそれに絡む。もちろん、途中から激しいチョッパーも加えた奏法に変わる。

そして、後藤輝夫と是方博邦のユニゾンが始まる。栗本の曲は何回も聴いているのでテーマはすっかり覚えてしまったが、イントロや、ソロが毎回違うパターンなので、いつも新鮮な感じだ。それが、KRONIZCKの根底がジャズだという証でもある。




前述のとおり、KRONIZCKはJIROKICHIが初であるが、同時にこんな狭い空間で演奏するのも初だ。ベイタウンに来た時だって、観客200人がゆったり座れる広さだったし、ブルースアレイもそこそこの広さだ。JIROKICHIは、狭い。天井も低い。しかし、音がいい。とにかくすぐ近くで鳴っているという感じ。いつもピアノの音が小さく感じるけど、今夜は栗本修のパートが良く聴こえた。

KRONIZCKとしての出演は初だが、栗本修は、過去2、3回別のユニットで出演しているらしい。是方博邦、バカボン鈴木は、もう常連といっていいほど出演している。だから、というわけではないのだろうが、バカボン、是方ともリラックスしているように思えた。栗本のいつもの頼りないトークにバカボンが積極的に絡んでいたし、是方なんて、家にいるようなくつろぎ感さえ漂っていた。

しかし、演奏は凄かった。GT-20、夏を思わせる気持ちの良いサウンドにバカボンのベースはピッタリ。そして、後藤のサックスとユニゾンで入る是方のギター。最高っ!この曲は、絶対に映像と一緒に聴きたい。ビールのCMに適しているのではないか。それに、ラスト曲のGT-31.このドライブ感がたまらない。この曲の目玉はバカボンのベース。猛烈なスピードで弾く。チョッパーもギンギン。是方のギターも素晴らしい。いつものようにディストーションを目一杯効かせたロックっぽいコード奏法ではなく、今回は割とフュージョンっぽかった。(笑)

後藤さんのサックスも、血管が切れてぶっ倒れてしまうのでは、と心配するくらい強烈だ。栗本も燃えていた。そして、この曲のもうひとつの目玉はセシルのドラムソロ。どう表現していいか分からないが、セシルのドラムは物凄い特徴がある。第一、ビジュアルもかっこいい。(すみません。ドラムのことは詳しくないので)


演奏が終わった後、バカボンさんと話をする。あまりにも凄いベースを聴いたので、率直な感想を言ったら、照れていた。気さくな感じの人だ。GT-31のリフなどは、オリジナルなのか、と聞いたら、ソロ以外は、全部栗本修が作ったという。

え??
それは驚きだ。
主旋律やコードは確かに栗本のオリジナルだということは良く分かっている。しかし、ベースのパターンなど、実際に弾けないと作れないんじゃないかと思っていた。以前、栗本はギター系はまったく弾けないと言っていたことがある。実は、弾けるんじゃん?自宅にもギターがあったのを思い出した。

ライブが終わり、栗本さんと話をしていたら11時近く。ご覧のとおり、駅にも人がいなくなった。ただ、さすがに新宿方面からの電車が来るたびに、くたくたに疲れきったサラリーマンが電車から吐き出される。ご苦労様。

このホームに立ったのは、久しぶり。
さあ、私も帰途に着く。下手をすると、幕張に帰れなくなる。かつては、次の日を気にしないで一晩中飲んだくれていたこともあった。あの頃が懐かしい。金は無いが、可能性がいっぱいあった。でも、あの頃には戻れない。これが現実。
明日もくそ暑い中、仕事に行かねばならない。

電車が来る寸前、ホームの下から斜めに阿佐ヶ谷方面へ続く狭い商店街が目に入った。そうそう、ここだ。電車が無くなると必ずこの道を通って当時住んでいた阿佐ヶ谷の安下宿まで歩いた。道の途中には、ジャズの聴ける小さなライブハウスがあり、時には翌朝までそこにつかまっていたこともあった。そんなことをあれこれ考えていたら、上り方向の電車が来た。

幕張に向かう電車の中で、私はGT-20のテーマを繰り返し歌っていた。まだまだ暑い日々が続きそうだ。さあ、明日も仕事、頑張るぞっ!

2002/8/1

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柔道大会 ??


幕張メッセで大会をやってた。
柔道着を着た人達がたくさんいるってのが凄い。(笑)

妻子も一緒にいたが、彼らはまったく興味が無かったようだ。
ちょっと観たかったけれど、置き去りにされるので、慌てて会場から出た。

2002/8/4

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しばざ記 Vol.25


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