高校一年のときだったか、ある運動部の部室では部員が練習後の汗を拭きながら盛んに相撲談義に興じていた。中でも2年生のW先輩が貴ノ花の凄さについて熱く語っていた。Y先輩も貴ノ花が大好きなようで、同様に興奮した声を張り上げていた。そうなのだ、わたしたちのあの頃って、相撲は野球と同格なくらいに人気のスポーツだったのである。
ヒーローはもちろん、貴ノ花。とにかくあの腰の強さが魅力的だった。それに、それまでのお相撲さんって、アンコ型だったのだが、彼は二枚目だったし、痩せていて、かっこよかった。一方の横綱の輪島(今、何してるんだっけ?)と貴輪(きりん)時代なんて称された。北の湖との対戦も面白かった。
それまでは、昭和の名横綱である大鵬と柏戸の柏鵬時代が長々と語り継がれていて、本物のスターなんてなかなかいなかった。あ、高見山の時代っていつだっけ。ちょっと歴史が前後してるかもしれないけど。(高見山の豪快で、かつあっけない負けっぷりも好きだった。)
とにかく貴ノ花ってわたしも密かに好きだった。どうしても一年坊主は、先輩の前に媚を売ったりしているので、わたしとしては、貴ノ花を褒めちぎっている先輩のいる場所で、同じようなことを言うというのがイヤだった。だから相撲の話題は同級生とでしかしなかった。なかなか横綱になれなかったこと(最後までなれなかったけど)も魅力のひとつかもしれない。なんだかんだと言われながら大関で8年というから逆に凄いのである。
貴ノ花の魅力は言い尽くせないし、それに、わたしが語るよりも大相撲協会のデータベースなどでご覧頂いたほうがはるかに詳しく載っているので、このページではもう終わりにするけど、今の相撲より明らかに面白かったことだけは事実だ。土俵際の粘りがなんともいえなかった。
ところで、親方になってからの貴ノ花も凄かった。息子二人が横綱になったこともあるけど、多くの名力士を育てた。名匠であることは間違いない。安芸の島なんて好きだったなあ。あ、この話も置いておこう。でも、ここ5〜6年は、なんかダメダメ親父みたいに言われて、あることないこと根掘り葉掘り言われて、可愛そうだった。ガンになったのはそれらが直接の原因ではないにしろ、でも、因果関係が多少あっても不思議ではない。
そうなると、普通は離婚したN(元)夫人の話にゆくのだが、まあ、そんなことはどうでもいい。彼女にしてみれば、早く別れたのは正解だったかもしれない。別れた後で、病気になり、そして、死ぬ。親方は独りでいろんな苦しみを背負って死んでしまったかのようだ。最後の粘り腰は無かったのか。いや、「もういいや。」なんて思ってしまったのかもしれない。
55歳は若すぎる。相撲の人って、若いときに引退して親方になると年寄りというポジションになるから、年齢を聞くとどの人もあまりにも若くてびっくりしてしまう。55歳と聞き、自分の年齢と照らし合わせ初めてなるほどと思った。今、ニュースを見たら、北の湖と優勝決定戦で、勝ったあの一番は1975年だという。そうか、あれから30年の時が経ってしまったのか。
2005/5/31 しばざ記 Vol.121
写真は、ネットから採取。
(どこのサイトかわからないまま流用しました。特定の方に不利益がある場合にはお知らせ頂ければ即刻削除いたします。メールのアドレスはトップページにあります。)
息子の雄姿
親ばかで申し訳ない。
息子のユニフォーム姿(と言っても練習用)をアップ。
かっこいい。
それにしても、野球を始めた途端に、急に写真を撮らせてもらえないようになった。
急速に大人びてもきた。
気のせいかなあ。
2005/6/2 |