「俺たち2」管理人による戯言

神様の試練ってのは、あまりにも非道い。
なんで彼はこんな目に遭わなきゃならないのだ。


悲しいお知らせ(その3)
現実を直視してゆかねばならない



ズッキーが行方不明になってから既に2週間以上が経ってしまった。もう非現実的な淡い期待を持つことのほうが意味が無い。悲しみが更に大きくなるだけだ。厳しいけれど、現実的に考えるしかない。現実を直視するしかないのだ。

現実とはどういうことだ。状況から見て、生存の望みは無いということだ。従って、使いたくない言葉だが、既に死亡しているということなのだ。そう、ズッキーは死んだ。それが現実なのだ。どこかの南の島に漂着して、記憶喪失かなにかで、別人として生きていたというのはテレビドラマに過ぎない。甘い期待は却って悲しみを深めてしまう。

実は、事故発生後(次の日?)、警察はお父さんに、「海の事故は遺体の損傷が激しく、数日経っただけで指紋の照合による身元確認しか無くなってしまいます。更にこの時期は早くて半月から1ヶ月も浮かび上がってこないので、そうなるとDNA鑑定になります。」というようなことを言ったらしい。

この時点で既にあまりにも厳しい現実をお父さんに告げられているのである。更に厳しいことを言えば、海での水死体の場合は体の体積は2倍くらいになり、顔は魚や海老などに食われ、体中におびただしいほどのフナムシのような足がいっぱいある甲殻類などの虫にぼろぼろにされてしまうのである。早く彼が発見されることを望む一方、このまま彼が見つからないでほしいとも願っている。

警察は、海岸に停めてあった彼のクルマの中の彼の所有物から、彼の身元を確認できるものを探していた。すると、彼の写真が何枚か出てきた。彼がマイクを持って歌っている写真である。もちろん、我々ベイタウン中年バンドのボーカルとして歌っていたときのものだ。指紋の照合のためにお父さんはその写真を警察に提出した。

後で、お父さんが玉置氏に語ったことによると、彼はいつもその写真を持ち歩いていたらしい。何かというとそれらの写真をしげしげと眺めていたり、あるいは、自分がロックのボーカリストとして活躍しているのだということを人に見せて自慢していたそうだ。彼は釣りももちろん好きだけど、歌うことが大好きだった。歌っている写真こそズッキーのステイタスだった。

ズッキーは1999年、ベイタウンに引っ越してきた。自治会の無い賃貸棟に住む住民が自治会連合会への発言権が無いのはおかしいということと、ホームページによるコミュニティの形成に興味を持っていた。たまたまそれ以前に私は、ベイタウンで大規模な音楽祭を開催したいという企画を暖めていたり、音楽やネットを使った地域コミュニケーションを進めようとしていたので、数人の仲間と一緒に色々な計画を具現化する為のネットコミュニティ「俺達のホームページ」について語り合った。

2000年にはベイタウン中年バンドが発足。彼はボーカリストとして参加する。2000年の5月に開催されたベイタウンまつりでは自らも歌う一方で、色々な地域のミュージシャンたちの世話をしたりするいわゆるディレクター的なことを買って出た。2000年の夏には念願の「俺達のホームページ」が立ち上がった。当初のコンテンツのビジュアル化は全て彼が担当した。翌年の幕張地区の色々なイベントに、メンバーが充実してきたベイタウン中年バンドが出演した。もちろん彼はリードボーカリストととして活躍した。

釣りや、デイキャンプ、サイクリングなど、アウトドアライフにも積極的だった。ベイタウンに住む同じ位の年頃の若いお父さん達を連れてあちこちに出かけ、それをWEBなどで公開した。ベイタウン内の公園にデッキチェアなどを出してのんびりとビールを飲んだりすることもあった。また、彼の自宅のデッキからはマリンスタジアム方面の景観が良く、夏の夜など花火が綺麗だった。夜風に吹かれながら語り合ったことが懐かしい。栗本修さんや是方博邦さん、それから田村直美さん、宮原永海さんなどのミュージシャンがベイタウンでライブをするときのお手伝いもしてくれた。

その後の彼は、あまりこういうことをWEB上で言うのもなんだが、ちょっと問題を起こして、ベイタウン中年バンドの活動を休止していた。不運が重なった。精神的にも不安定になった。時々はイベントにも顔を出していた。しかし、そのうちベイタウンから離れることになった。そうなると、やはりバンド活動は難しくなってくる。それでも彼はベイタウンが好きなので、時々ベイタウンに現れた。私は彼が歌いたくてうずうずしているのを知っていた。

2006年秋、彼は日本赤十字社と一緒にベイタウンで「ドナー登録会」というイベントを開催した。タレントの本田美奈子さんが白血病に倒れたことで、やはり数年前に白血病で母親を亡くしたズッキーの思うところがあったのだろう。彼にとっては久々のベイタウンでの活躍だった。そういえば、亡くなった彼のお母さんとお父さんは、一緒にコーラスをやっていて、それで結ばれたということを確かお母さんの葬儀のスピーチでどなたかが言っていたような記憶がある。その影響でズッキーも歌が好きだったのだ。


以下は彼がベイタウンで活躍していた頃の写真を集めてみた。随時更新してゆく予定だ。
上の写真は2000年3月頃、ベイタウン中年バンドが発足時のズッキー。

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2000年のアルバムより











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2001年のアルバムより











本来ならば、もっと歳をとった十年後くらいにこういう写真を見ながらあれこれと思い出話に浸りたかった。今となってはもう・・・。

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2002年のアルバムより





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2002年の夏以降の写真についてはまたいずれ・・・。


しばざ記205 (2007年3月5日 記)


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