名古屋から大阪への大爆走
愛知〜三重〜奈良〜大阪と、鈴鹿山脈を深夜の大縦断 |
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J社様の名古屋の仕事は、サプリメントなどの開発や販売のN社様のイベント。名古屋でもトップクラスのホテルで開催された。
色々あって(有難うございます。)、そのイベントのコンサートの部分を栗本修の率いるグループでやらせてもらった。メンバーは栗本、宮原永海、グレッグ・リー、マーティー・ブレイシーの4人。会場には私と栗本は2時頃入る。リハは4時頃から。本番は夜の7時半頃からである。
コンサートはばっちりだった。クライアントさんも喜んでくださった。永海ちゃんのしっとりした雰囲気も良かったし、栗本も頑張った。マーティーもちょっとサービスしてたかな、という感じ。グレッグのソロも良かった。ライブが終わって、片付け。音響は名古屋のライブハウス「オールド・ジョー」の福田さん(マスター)がやってくださって、彼の機材だったから、一旦お店に返しにゆくことになった。福田さんは、下の写真(本番前の控え室の光景)のオレンジの服を着た人だ。背中はマーティー(左)、栗本(右)、手前のグレッグはベッドの上でパソコンを開き、ホームページの更新中。
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▲ 福田さんと彼の店「old joe」 |
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福田さんが借りたレンタカーに機材を積み、栗本と私を乗せ名古屋のハイウエイを激走する。表現は悪いけど、本当に激走なのだ。後続にはマーティーの運転するクルマ。ぴったりついてくる。マーティーのクルマにはグレッグと永海ちゃんが乗る。大丈夫か。時刻は夜の10時半頃だったか。
名古屋は結構広い。約15分高速を走り、そして下の道を行ったところに福田さんの経営する「オールド・ジョー」がある。愛知万博の会場のほうだから東京方面に戻る感じだ。賑やかだけど落ち着いた感じの商店街の中の、お洒落なビル。こじんまりしたいいお店だ。皆で機材を運ぶ。あっという間に片付く。いずれまた遊びに行きたいお店だ。福田さんの少年のようなキャラクターもいい。ライブハウスのオーナーといっても自らは楽器を演奏する趣味は無い。しかし、純粋に音楽を愛している。元々はイベントを企画したり運営する会社にいたそうだ。
さて、これから大阪へ行かねばならない。このグループで明日は大阪のロイヤルホースでの仕事なのだ。皆、疲労感が漂っている。私も作夜は仕事の追い込みで睡眠時間が短い。5人で2台のクルマに分乗して行くのは遠足のようでわくわくもするけど、結構キツイ。大阪まではなんせ200km以上もあるのだ。福田さんは運転手を買って出てくれた。乗りがいい。
だいたい11時くらいか。名古屋駅に戻って、ぎりぎり電車で大阪に行けないこともない。大阪までクルマで移動する理由のひとつには経費削減というのもある。ところで、皆、物凄く腹が減っていた。レンタカーと自家用車を交換しに行った北名古屋市というところに、福田さんの知っているステーキ屋さんがあって、そこで食べることになった。サラダが食べ放題である。運転する福田さんとマーティー以外は全員ビールで乾杯。あ、栗本もアルコールはダメなので、私、グレッグ、永海ちゃんだけの乾杯だった。疲れていたので、抑え気味ではあるものの一応仕事の打ち上げだ。今夜の仕事の反省も含めつつもわいわいやる。福田さんとマーティーはノンアルコールのビールを「うまい!」と言いながら飲んでいた。
グレッグが「焼酎は置いてないですか?」と店員さんに訊いた。「酎ハイならあるのですが・・・。」と店員さん。グレッグは本格派焼酎が好きなのだ。ロックでも梅割りでも。あと、ステーキのソースをグレッグとマーティーが和風で注文していた。大根おろしをたっぷりかけて。意外かもしれないが、グレッグとマーティーは和食大好き。特に納豆が好きだとか。見かけとは裏腹なのが面白い。
そのステーキ屋さんには1時間以上いた。とっくに午前零時を過ぎていた。ボリュームがあったので、腹がぱんぱん。腹がいっぱいになると眠くなる。しかし、その夜泊まるホテルは大阪にある。前述のとおり名古屋から大阪は200km以上の距離がある。しかも、走り出してから分かったが、結構高速道路は混んでいる。大型のトラックが爆走している。しかし、福田さんの運転は見事だった。巧みに左右の車線をうまく使い、軽やかなフットワークで、どんどん追い抜いていった。
決して強引ではなく、自然な感じでスルスルっと追い抜くので、ほかのクルマからも苦情が来ない。乗っている私と栗本にも全然恐怖感は無かった。しかし、スピードはかなり出ていたような感じだ。マーティーもなかなかやる。いや、マーティーは無理やり福田さんのクルマにぴったりくっついて来ようとするから、逆にかなり強引な運転だった。
ルートは東名神ではなく、名古屋から四日市の南西の方向に下り、鈴鹿、伊賀と走り、奈良を超えて大阪に入るというものであった。私はまったく初めてだった。名古屋から大阪は今まで何の考えもなく、間違いなく岐阜から関が原を抜けて、滋賀、そして京都というルートだったので、物凄く意外だった。しかし、クルマで関西方面に行くことは過去に2回しかないので、偉そうに言う資格は無い。案外その東名神を使わないのもポピュラーなのかもしれない。
山の中の伊賀のパーキングで休憩。ローソンがあったので、各自ドリンクを買ったり、スナック菓子を買ったりした。午前1時過ぎ。4月の終盤なのに吐く息が白い。私は運転していないが、暫し、車外で深呼吸。深夜、こんな山の中で、キャラの濃い面子で、というシチュエーションにちょっとだけ快感を覚える。二十代の頃に戻ったような感じかな。それにしても唯一20代の永海ちゃんは、こんなおっさんばかりのツアーの中でよく平然として居られるもんだ。彼女も疲労からか、目がどろりんとしていた。
再び走り出す。私はいつしか眠ってしまった。それにも関わらず福田さんはガンガン走り続けていた。栗本と福田さんの車中の会話が子守唄のように聞こえていた。その間、マーティーのクルマが前に行ったりとデッドヒートの状態になっていたらしい。奈良から大阪に抜ける山の中で私は目を覚ました。標高の高いところを走っていた。大阪の街の灯りが眼下に見え、綺麗だった。
徐々に標高が下がり、藤井寺を通ると、大阪の中心街はすぐそこ。ずっと暗い山中を走っていたので、街の灯りは格別。妖しく光る通天閣の脇を通り、そしてビル街の中をするするっと走り、ホテルのある梅田に。やっと到着。福田さん、マーティー、お疲れ様。そこでクルマを降りる。午前2時過ぎ。ぐてんぐてんに疲れた。福田さんは元気いっぱいだった。栗本は大阪に来たときの通例で実家に泊まる為にそこから自分でクルマを運転し、去っていった。彼もタフだ。いつも朝方まで作曲していることが多いので、夜は強いのである。
ホテルの部屋は、グレッグ、マーティー、永海ちゃん、福田さん、私と続きだった。なんとなく修学旅行に来たようだ。誰かの部屋に集まって酒でも飲みたいなんて思ったのも束の間。自分の部屋で服を脱いでベッドに横たわった瞬間にもう眠ってしまった。
右の写真はホテルから見下ろす深夜2時半頃の御堂筋。
2007/5/2
しばざ記 238 |