とある町(ベイタウンじゃないよ)の、とあるイベントで、町内会が中心となり、和太鼓を披露することになった。イベントの実行委員会は、それを機に和太鼓を町の伝統文化にしようと意気込んだ。毎年夏には盆踊り大会があって、これまでは近隣の和太鼓グループが太鼓を叩いてくれたが、今年は地元のこどもたちが叩いてくれる。そういう期待を皆がしていた。
毎夕、猛烈な稽古が始まった。練習場所は公民館。近隣で和太鼓を教えているお年寄りがボランティアで指導に当たった。もちろん、地元の大人たちがしっかりとサポート。ところがだ、練習がうるさいという苦情が入った。公民館のドア、窓、全て密閉していても太鼓の音は地を這うようにして周辺に響き渡っていたのだ。
イベントの実行委員会は、慌てて苦情を出した人に陳謝するとともに、今後、太鼓に布をかぶせて音を小さくする工夫をしたり、極力本物の太鼓ではなく擬似的に太鼓に近い感触で音が出ないものを練習用にするなどの提案をし、理解を求めたが、なかなか納得してくれなかったということだ。
その後、できるだけ配慮しながらも、なんとか子どもたちも一所懸命練習をし、そして、イベントは無事終了した。たくさんの人で賑わった。和太鼓は大変な評判だった。子どもたちの汗も報われた。実行委員会の方々もイベント開催準備、運営、後片付けなど大変だったけれど、それでも達成感の喜びに浸っていた。
イベント開催2日後、また苦情が実行委員会宛に入った。イベントでの和太鼓がうるさいということだ。来年はやめてほしいということも添えられていた。実行委員長はその苦情の主の許へお詫びに参じたが、かなりやりこめられたらしい。盆踊りの和太鼓は必要だが、今回のイベントは意味が無いと罵声を浴びせられたそうである。もし来年もやろうと言うのなら警察に連絡するとまで脅かされた。
一所懸命やっている人に対してクレームが来るのが悲しい。その実行委員長は、私の知人である。今、彼は「でも、せっかくここまでやったのだから来年もやりたい。」と言う。是非、頑張ってほしい。私もそういう当事者になっていることが多い。いっそ、面倒なので、イベント自体極力やりたくないということも考えたこともある。皆がそんなことを考え始めたら、イベントどころか祭りも何も無くなってしまう。
実はベイタウンでもそういう問題はある。1年に1度や2度しか開催されないイベントに対して、音が大きいと言うクレームが毎年ある。どこまでがうるさくないレベルで、どこからがうるさいのかは個人差だと思うけれど、私としては1年に1度くらい、しかも、数時間くらい我慢しなさいよ、と言いたい。祭りや、イベントは特別な日だけど、しかし、その町の風物詩で、生活音の一部だと思う。マリンーズの花火だって同じことだ。
イベントだけに苦情が来るならまだ分かる。しかし、小学校の朝礼でのスピーカーの音がうるさい、あるいは夏休みのラジオ体操の音がうるさいという苦情も来る。自分に関係無くて、音量が大きいと誰でも騒音として捉えてしまう。まあ人それぞれの事情があるだろうし、病気などで音に対して敏感になっている人も確かにいる。でも、マフラーなどを改造してブンブン走りまわる暴走族の騒音と一緒のレベルで考えてやしないか。小学校のは生活音なのだ。
町にはひとつくらい小学校があって、しかも、小学校といえば、必要な校内(校庭でも)放送もあれば、運動会もあって、賑やかな音が周囲に広がるのは当たり前のことだ。それはこの街(ベイタウン)だってもちろん同じ。頼むよ。
2008/5/26
しばざ記 469 |
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