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手術するかも ← 私じゃなくて母がです
母のコシの塩梅はどうも相当悪いようだ。
まず今の治療を続けても完治はしないということを言われてしまった。 |
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どうも母の病状が芳しくない。
と言っても、命が危ない状態ではない。
歩けないに加えて、ベッドに横になっていても痛いという状況なのである。
ご心配頂いている方々に、個別にメールをお送りするのも逆に大げさになってしまうので、ここで、ちらりとご報告。
今、看護師さんから連絡があった。
内容は表題の通り。
家族の同意が必要だというのだ。
家族、即ち、それは長男の私。
母も私も手術には物凄く抵抗がある。
私の父は腎臓癌だった。その時に先生は、手術するしかないようなことをおっしゃった。ところが、腎臓の提出手術を受けてから、まるで坂道を転がってゆくように父の容体が悪くなっていった。あの時、手術することの家族の同意は私だった。つまり手術に踏み切る最終判断は私だったのだ。
私は今でもその責任を非常に大きく感じている。
そして今日、その決断を迫られている。
まずは先生から病状の説明をお聞きする予定。
これからひとっ走り木更津へ行ってきます。
(午後3時に間に合うように・・・)
2013.1.30
落日
今日も〜涙のぉ〜今日も〜涙の日が落ちる〜 日がぁ〜〜お〜〜〜ち〜るぅ〜♪
まさにそんな感じ。
眺めているだけで泣けてきてしまった。
涙もろいお年頃なのだ。
(昨日 1月29日の幕張海岸より)
ダイヤモンド富士まであと約2週間だよね。
現在、箱根と富士山のちょうど間くらいまで落日ポイントが移動してきた。
でも、広角側で撮ると、こんなに距離があるんだよね。
あ〜、それにしても虚しいなあ。
いいことも悪いことも、色々考えこんでしまう。
もちろん、今、一番考えているのは母のこと。
2013.1.30
ぼくらの町は川っぷち / 西六郷少年少女合唱団
http://youtu.be/FBBmeBKE8Fw
嬉しい。
こういうのもネットにあるんですな。
こどもの頃、大好きだった曲です。
もう一生聴くことができないかな、なんて思ってた。
小学校の4年生の頃かな、視聴覚教室で観たような気がします。
2013.1.30
製鉄所に沈む夕陽
今日の落日は木更津港から。
製鉄所に沈んでゆく夕陽を見ていて、先ほどの「ぼくらの町は川っぷち」という歌を思い出した。
この夕陽は子どもの頃から見ている。
今夜も泣けるなあ。
病院をちょいと抜けて気分転換に来たのだが、心の整理が出来ていない。
先生は思ったより酷いので、絶対に手術をするべきだとおっしゃっている。
これから再び病院へ行き、おふくろと話をしなくてはならない。
何度か書いているように、木更津からの富士は裾のまで綺麗に観える。
郷土自慢のひとつだ。
この写真を撮っている時に、私より年上、もしくは私と同い年くらいのご婦人に、この辺りのダイヤモンド富士の時期を尋ねられた。
確か2月の中旬以降じゃないですか、なんて適当に答えてしまったものの、もちろん私もしっかり把握しているわけではないので、ネットで検索することをお教えした。
そのご婦人、手には高級なデジイチがあった。
うーむ、やるね。
2013.1.30
木更津で5km走る
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病院の老母と色々話をしてから実家に行く。既に午後6時半を過ぎ、暗くなってきた。いや、木更津ならではの暗さだ。都内ではこの時刻だったらギンギンに明るいというのに・・・。
さて、仕事道具を広げて、でもな、もう仕事したくない感じ。
コタツに入ってぼんやりしていた。
もう手術しか治す手段はないんだって、と私が言ったときの母の悲しそうな顔がまぶたの裏に焼きついてしまった。
木造で、まあ、木更津の近辺の家に比較するとそう大きな家でもないけれど、ここに一人で暮らすとなったら寂しいよな。そのいつもいる老母も今は病院で、もうかれこれ3ヶ月近く家に居ない。
一度、正月にちょこっと帰ってきたのだが・・・。、
寂しい。
そして、虚しい。
モヤモヤが心の中を占拠していて、こりゃ走るしかないと決めた。
特にランニングする格好をしているわけではない。
ごくごく普通の格好で走ることにした。
ただ、途中で暑くなるといけないので、ジャンパーの中はTシャツだけにした。
ネットのキョリ測で、5kmを設定して、準備OK。
でも外に出ると物凄く寒かった。
日中は暖かったのに・・・。
まず線路のところまで走って、そしてそこを左に折れ、君津方面に向けて線路沿いの道を走った。誰も歩いていないし、時々クルマがすれ違う程度。電車は合計3本すれ違った。とても寂しい。
東の空からのったりと丸い月が出てきた。1割くらい上部が欠けているようだ。
桜井というところの折り返し地点で、ふと、小学校時代の同級生の家がこの近辺にあったのを思い出した。小さな一軒家の借家である。行ってみた。驚いたことに、築50年くらいは経っているだろうその家がまだ残っていた。
暗いので確認するのは大変だったが、表札にはその友人の名前が書いてあった。そして中からは光が漏れている。小さな庭にはグレーの軽自動車がとまっていた。雰囲気からすると若者が乗っている感じだ。となると、私の友人のお子さんなのだろうか。それとも友人が乗っているのか。
なんとなく、ちょっと嬉しくなったし、懐かしかったけれど、同時にとても寂しい気持ちになった。なんというか、この小さな借家に住んでいること自体で判断すべきじゃないけれど、絶対に裕福じゃないような気がした。
負の連鎖。
貧乏人の子どもは貧乏人。
急にそんな言葉がアタマの中をよぎった。
そいつのことを貧乏人と断定するのも失礼な話だけど、明らかに小学校のときに彼は正真正銘の貧乏人のこどもだった。だから弱い奴からメンコやベーゴマを脅し取っていた。確証は無いものの万引きもしていたようだ。そいつを卑下するのは簡単だ。でも、家が貧乏でメンコも出来ない、旅行も行けない、まともな友達も出来ないというのは彼の責任ではない。悪いことは悪いけれど、それは仕方ないのだ。私はもちろん彼を擁護はしていない。ただ、彼は悪い奴じゃないとはずっと思っていた。
だからどうしたと思うかもしれない。いったいおまえはなにが言いたいんだと皆さんは思われるかもしれない。彼を私が助けてやれるということでもない。もちろん、貧乏人を侮蔑しているのでもない。ただ、なんというか、うまく言えないけど、そいつには今からでも這い上がってほしかった。もちろん、自分にも言える。私だって立派な貧乏人だ。頑張らなくては。
その友人、おっと、友人ったって、小学校から中学に行ってからはクラスも違ったので殆ど会話もしていなかった。高校では学校も異なったので、まったく会わなくなった。
それから、十年くらい経って、我々が二十七、八の頃だっただろうか、木更津駅前でばったりと会った。向こうから話しかけてきた。ガテン系の格好をしていたし、ちょっとチンピラ風にも見えたのだが、目を細めながら再会を喜んでいた。
それ以来は会っていない。一生のうちで、もう一回くらい会ってみたいものだ。しかし、そいつの家のドラをノックする勇気は無い。
さて、ちょっとサボると、すぐく体が冷える。帰りは急ぎ足で、汗びっしょりかいて完走した。シャワーを浴びて、食事。
竹岡式ラーメンのワンちゃんに行った。
十数年ぶり。
前回は老母と、我々家族揃って一緒に行った。
濃い醤油味が懐かしい。
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(↑) ラーメン(大) 600円
細切りのメンマと、スープに浮かぶたくさんの玉ねぎが特長。
麺はナマ麺を使用。
左:ナマ麺を使っているので喉越しもいい。
右:店内。カウンターは誰も座ってないけれど、小上がりのテーブルは満席。
今日はクルマだったので、木更津やきそばは寄らずに帰宅。
でも、昼間、ちょこっとだけ寄って、たこ焼きだけ食べた。
T高校の3人組がギターで歌っていた。
(↑)たこ焼き
なんと嬉しい200円。
(↑)高校生。
この向かい側で私はたこ焼きを食べる。
そして私の隣には、将来プロを目指している高校生ドラマーが・・・。
(↑)恋の聖地だって・・・。
うわ〜。めちゃだせーーーっ!!
以前からそのダサさに気づいていたけれど・・・。
で、このモニュメントなんだけど、やっぱり「木更津キャッツアイ」による産物らしい。
横にある中ノ島大橋をおんぶして渡ると恋が成就するとか。
そういうシーンが「木更津キャッツアイ」にあったんだってね。
まあ、そういうことなのか。
それはそれで失礼しました。
にぁるほど。
なんか悔しいなぁ。
「木更津キャッツアイ」を知ってる、知らないで、木更津についての捉え方が異なってるんだよね。俺、木更津人なんだけど、同番組を観たことないから全然わからないよ。でもそれはまだいいけれど、「男女7人物語」で、木更津がロケ地になってたこともあったよね。それはどうなのよ。今、あんまり話題にしている人を知らないけれど、あの影響はなかったのかしら。
実はその「男女----」も俺は観てなかった。(苦笑)
というわけで、気になったので、それもウィキで調べたら、なんと木更津から川崎へ通勤している主人公を演じていたのは明石家さんまなんだって!!
なんとなく薄々そうじゃないかなあという記憶は残っていたものの、すっかり忘れていたので、驚きだ。それにしても、そうなのか。ちょいと驚き。
なんで驚いたかと言えば、俺ってその明石家さんまが大嫌いなので・・・。
(おっと、明石家さんまファンをこれで敵に回したな。)
邪推かもしれんが、明石家さんまが主人公だったことで、木更津ではこのドラマのことを語る人がいないのでは、みたいに思ってみたりして。
2013.1.30
茂野の味川柳つるしこそば
3ヶ月前に茂野社長から頂戴したこれがまだ残っていたので、昼メシにとつくって食べる。
この製品のパッケージはチャック付きなので助かる。
茹でて、丼1杯にめんつゆを適度に入れ、そこへ私のお気に入りの「いりこの粉」をたっぷり入れる、お湯を適量注ぐ。そして天かす、最後にネギをとっぴんぐして、即席のそばのつけ汁に。アツ盛りで食べるのだ。
あんまりビジュアルはよくないけれど、とにかくこんな感じ。
毎度のことだけど、ビジュアルはネギで失敗しているな。
2013.1.30
きしのりこ in ベイタウン朝市(2/16 SAT)
2013年2月16日(土) ベイタウン朝市に"きしのりこ"さんが登場。スマッシュヒットの「まくはりのうた」を歌ってくれます。CD販売会、サイン会もやります。入場無料。是非ご来場ください。会場はベイタウン・コア横のひろばです。
ライブのスケジュール
1: 11:00〜 2: 12:00〜
--きしのりこ--
千葉県市川市出身。幼少の頃より、長唄・長唄三味線を学ぶ。中学高校では、ミュージカル部に所属。声楽、ボイストレーニング、ダンスを学ぶ。2004年より作詞作曲を始め、LIVE活動を開始。2008年よりピアノ弾き語りでのLIVE活動を開始。現在までに、6枚のCDをリリース。毎年ワンマンLIVEを開催し、LIVE本数は年間100本を超える。「ありがとうと笑顔を届けたい」という想いで歌を歌い、日本全国に活動の場を広げ、精力的に活動している。2012年、幕張情報サイト「まくじょー(maku-jyo.com)」にて、幕張の方々と共作にて作詞・作曲をした「まくはりのうた」を製作、CD発売。千葉を盛り上げるべく、千葉での活動も本格化。FMうらやすパーソナリティー(Bay City Caller、きしのりこのほげほげradio)をつとめる。
プロモYUTUBE = http://youtu.be/zYHDX0NkEgk
2012.1.5
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2013/1/30
しばざ記 1300-HP版 |
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