江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居した。ただし名目上は家康の子の頼宣による駿府藩50万石、ということになっている。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。天守閣は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大のものであった。しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失した。その後直ちに再建されたが、1610年(慶長15年)再建時の天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となった。
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