「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。罵詈雑言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。いや、もうじじいの領域か。すみません。
しばざ記
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あの岬に行ってきた
その岬は風がびゅーびゅー吹いていて、カメラを持つ手も定まらないくらい。晴れているのに、沖のほうにモヤがかかり、富士山は観えなかった。


3月13日 金曜日。
午前中は五井にて仕事。
仕事というか人助けプロジェクト。
もっと正確に言えば企業助けプロジェクト。

こっちが助けてほしいというような仕事なんだけれど、まあ、クライアントさんも喜んでいるし、いいのかな。

午後は、ちょこっと母のご機嫌伺い。
もう昼をとっくに過ぎているのに、母がせっせと昼食の支度をしていた。

なので、その間、定点観測的になっている矢那川の写真を撮りに出かける。



いい天気。
気温も高い。
13度以上はあると思う。



東側。つまり上流の方向。
まだ景色は寒々しい。



下流側。



ズームイン!

ああ、この土手が高校の時に今のように整備していたらなあ。
デート出来たのに。
うそうそ。



実家の近所のお宅の河津桜。
見事だ。



実家での昼食は、ふきのとう。
ほろ苦さが旨い。



エシャレット。
あ、久々だな。



こんな感じ。

で、食事しながら、急遽、あの吉永小百合が主演の映画「ふしぎな岬の物語」の舞台となった明鐘岬のカフェ「岬」に行くことになった。母が以前から行きたがっていたのだ。そして私も幼い頃、そして二十代の頃によく釣りに行ってたということもあって、行ってみたかったのだ。



菜の花ごはん。

母はこれを私に食べさせたくて、だから、せっせとつくっていたんだ。
もっと時間をつくってせっせと通わないとな。
それと、妻の実家にも行ってやらないと。

2015.3.13

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ふしぎな岬の物語


実家で遅い昼食を食べてから出かける。
ルート127を南下。この路線で君津よりも先に行くのは久々のこと。
前回はいったいいつだったのか忘れているくらいだ。

あ、思い出した。
確か、伊藤哲一氏の家にお邪魔したとき以来だ。
確かそうだ。

向かう先は明鐘岬(みょうがねみさき)にある「岬」という名のカフェ。
岬の突端にぽつんとあるカフェだ。

同店は映画「ふしぎな岬の物語」のモデル。昨年映画が公開され、連日多くの人が訪れる大変人気のスポットである。

ところで、明鐘岬を私はずっと「みょうしょうざき」と呼んでいた。
重箱読みだったんだな。
知らなかった。

午後3時半頃に現地に到着。



ルート127の明鐘隧道のすぐ手前を右折する。
分かり難いので、注意が必要。

看板も出ているが、それほど目立っていない。



ごつごつした岩盤と砂利の駐車場にクルマを駐車し、この切通しの道を歩くとすぐ。
正面は浦賀水道。
道の左側に白い建物が見えるが、それは同カフェのトイレ。

とんでもなく風が強い。



同カフェの外観。
とても簡単な建物。

数年前に昔からあった建物は全焼してしまい、現在の建物は、ファンの方々が協力して建ててくれたようなそんな話だったかな。残念ながら詳しくない。

実はここに来る前に多少の予備知識くらい必要だろうと、原作の小説とか映画とか観ておこうと思ったのに忘れていた。



外にもテーブル席があったものの、誰も座っていない。
少し到着が遅かったからピークを完全に過ぎているのだろう。

ま、それもあるが、この強風の中、この席でコーヒーを飲むのは辛い。

それでも、お客さんがいた気配が残っていた。
トレーとコーヒーカップ数脚が置いてあった。
店内が満員だったと思われる。



店内は想像できたけれど、狭い。
山小屋に来ているようなそんな雰囲気も漂う。
それでも20人くらいは座れるだろうか。
奥にテーブル席らしいものがあって、そこは小部屋になっている。
右側のカウンタ席は海が真正面に観える席。
我々は、海に背を向けるカウンタに4、5席あるところに座った。
ママとは一言、二言お話しが出来た。
でも、質問なんて色々し尽されているだろうから、一般的なものは控えた。

料金は前払い制。
若いスタッフの方にオーダーする。
私はブレンド。
500円だった。



ちょっと変わった器に入ったコーヒーだ。
マイルドで美味しい。

コーヒーに関しては知識があまり無いが、それでも十分美味しいと思える味だ。



母が店内でかぼちゃクッキーも買った。
その場で少し食べる。
おお、コーヒーに合うね。



店内には至るところにその映画の関連の写真やらグッズがあった。
ファンには嬉しいだろうが、度を越しているかなと思った。
つまり店がアフター映画になっているわけで、この店をモデルにした映画なんだから、あんまりフィードバックしているとオリジナルがぼやけてしまうんじゃないかと思った次第。



海に面しているカウンタのお客さんが一斉に還ったので、振り返ると、浦賀水道を見おろす展望デッキのようなこの店の良さがよくわかる。
生憎、景色は霞んでいる。

それと、外にたくさんのお客さんがいた場合にはこの展望デッキはちょっとイマイチになるかも。風が無くて暖かければ外のテーブルが最高の席なのは間違いない。



コーヒーを飲み終え、まだじっくり味わっている母を店内に残し、私は外をプチ散歩。
眼下の岩場を見おろす。

ここが私が時々行った釣り場だ。
メジナの大きなものが釣れる。
時々かなり石鯛の大物も釣れることもある。



沖合を大型の貨物船が航行している。
波はかなり荒い。



遠くに金谷から出航したフェリーが観える。



安房勝山方向。
浮島が観える。



風が無ければこのテーブルも最高にいいんだけどなあ。



こんな場所もある。
落っこちるなよ。



金谷方面。
白い建物が印象的。



向こうのほうに観える港の奥(右方向)がフェリーの発着所。

さて、その後、再びクルマを運転し、せっかく来たので、「ばんや」に寄ってゆこうと思う。

2015.3.13

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保田の海


保田漁協直営の「ばんや」に寄る予定だったが、その先の道の駅には行ってないことを思いだし、行ってみた。なんと、そこの菱川師宣記念館だった。
17時までやっているみたいだが、その時16時20分。
ちょっとなあ。



見返り美人の銅像。
なにも立体にしなくても。(笑)



道の駅ぽくない小規模な商業施設の中の殆どが、既に店を閉めていた。
開いている店のひとつの八百屋さんの前に売っていた花。

母はこの店でなにか買っていた。



この場所は保田漁港の入り江を挟んだ「ばんや」の反対側になる。

その後に一応「ばんや」にも寄ってみる。
一応というのは、まったく腹が減らないからだ。

折角この地に居て、そして「ばんや」で食事が出来ないのは辛い。
頭の中で「ばんや」の刺身が浮かんでくる。(笑)

ということで、「ばんや」にも行ってみた。
中途半端な時刻だからか、殆ど人がいない。
寂寥感漂いまくり。

またここでもプチ散歩。



入り江に突き出ている浮き桟橋。
右側の奥。
な、な、なんなんだ、あれ。

メガネをかけていたので、良く観える。
どうも鳥のようだ。



拡大。

がーーーん!!!!

鳥だよ、やっぱり。
この黒いの、なんて鳥なんだろう。

補足説明:
なにが「がーん」かというと、色々意味があって、こんなに鳥が集まっている気持ち悪さがひとつ、もうひとつは、写真に撮って拡大して初めてこういう感じって分かったこと。つまり、メガネかけていても、あんまりよく観えなかったことにショックを受けた。

ああ、メガネをつくり変えないとな。



向こう側の右寄りの青い細長い屋根が、先ほど居た道の駅「きょなん」。

2015.3.13

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金谷の土産物屋さんで・・・


金谷に行ったら、ちょうどフェリーが出航して僅かなところだった。

母がどうしても干物が欲しいというので、金谷のフェリー発着所に隣接する土産物屋に立ち寄る。以前も気づいていたが、この界隈で一番大きな土産物を扱っているSCが閉館になっていて寂しい。以前はこの辺りはきらびやかだったのになあ。寂しいな。

直接の影響じゃないにしろ、アクアラインの開通も遠因かもしれないね。

母が土産物屋に入っている間に、私は再びプチ散歩。
というか、駐車場から鋸山を眺めただけだけど。



鋸山。
いやぁ、この風景は何度見てもわくわくするなあ。

R127を走っていて、鋸山が大きくそびえる地点に来たときにはいつも胸が躍る。
富士山を間近で観るときのコーフンに負けず劣らない。



高い山や険しい山が少ない千葉県内に於いて、この山の存在は貴重。



鋸山が海に没するところが明鐘岬。
一番右の辺り。

さきほどいたところ(カフェ岬)だ。

地形マニアの私はこんな感じのところに思い切りわくわくするのだ。



結局私も土産物屋に突入。
この土産物屋は、「ザ・フィッシュ」という。
前述の通り、一番大きなSCが閉店したので、現在はここが一番大きい施設。



錦織のお陰で今は一番人気の「のどぐろ」の干物。
しかし、2300円もするんだ。

高級魚だな。



干物の試食。
旨い。



見波亭のバウムクーヘン。
前回来たときもここに来たのを思い出した。
確か、ここ、有名なんだよね。



バウムクーヘンを切っているところ。
回転させながらこうやって切るんだね。



地ビール。
うまそうだけど、ワタシ的には手ぶらで帰りたいので、やめた。

母はなんだかんだと買い物していたが、目的の干物はここではなくて、もう少し竹岡よりの「かなや」という「ばんや」にも似たようなところで買おうということになった。



ザ・フィッシュにはひな人形も飾られていた。
立派なものだ。



次に行く「かなや」へ行こうとしたら、ちょうどフェリーが入港してきたので、慌ててクルマから降りて写真を撮る。

フェリーの写真撮る人って以前もそうだったけど、電車を撮る人みたいにいないんだな。人気無いのかな。私は好きだけどな。



逆光なのに、ばっちり。



「かなや」の駐車場にて。
まだ日没までは時間がある。



駐っているクルマは、「ばんや」よりも多い感じだが・・・。
でも、お客さんはそれほはいない。

母はここでお目当ての干物セットを購入。



食事をしている方は2組だけだった。

我々も全然空腹じゃなくて、ここを出たら、もうまっすぐ木更津に帰る状態に。



17時30分頃なのに、まだまだこんなに日が高い。



対岸の浦賀の火力発電所。
私が子どもの頃からの目に焼き付いている風景だ。
相変わらずモヤっているし、風が強い。

2015.3.13

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上総湊、ちゅうか天羽というか・・・


竹岡の海辺を走り、そして天羽、いや、上総湊かな、まあ、そんな橋のところに差し掛かった。この風景(湊川の河口)も子どもの頃から馴染んだ風景。ここは私にとっては色々な思い出の地。近くに知り合いも多い。あ、昔はね。今、上総湊に住んでいる知人って、誰がいたっけなあ。ぜんぶ他の土地に転出しちゃったかもしれないな。寂しいな。

まもなく日没なので、ついでに海岸に出て夕陽を撮ってゆくことにした。



この風景は、食べログのマイレビュアーとして登録させて頂いている「くまくまパパ」さんのタイトル写真。
素晴らしいなあ。
すみません、勝手に掲載しちゃいました。



山側はこんな感じ。
高校の時の同級生のS藤の実家はこの上流の農家だ。
あいつなにしてるんだろうな。

あ、俺に言われたくないか。

湊川は上流に向かってゆくと、鹿野山のふもと辺りでほぼ90度折れ、南下して高后山自然動物公園のところを流れ、そしてダムに到達する。
この川も小櫃川や矢那川と同様、好きだったので、何度か上流に向かって歩くということをやっては途中で断念している。(笑)



湊川に架かる橋。国道127号線。
前方の左側の白い建物は警察署(富津署)。



国道127号線の君津、木更津方面。
たまたまクルマが走っていないが、ここ結構通行量は多い。
特に、この先の信号のところで渋滞する。



ここでは夕陽が観ることは出来ないことが判明。
海岸まで移動することにする。

因みに夏場は鉄橋の辺りに日没地点が移動する。
と、思った。



おおお。
ここも懐かしい。

子どもの頃のマイ海水浴場だった。

泳いでいると、房総西線を走る蒸気機関車の煙が見え、そして警笛が聴こえた。
この写真の右から左に砂を運ぶパイプが2本沖に突き出ていた。

そういう写真もどこかにある筈だな。
今度探してみよう。



もやっている分、太陽の輪郭をしっかりと肉眼で観ることが出来る。
これは期待できそう。



この後、クルマに待たせている母も呼んで、一緒に日没を観ようと思ったら、厚い雲の中に消えていた。残念。

2015.3.13

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結局夕飯は回転ずしになってしまう


木更津に戻り、色々用事で動く。
その後、栄家で海鮮丼でも食べたいと思いつつも、全然腹が減らないので、しょうがないから食べたい分だけで済むと思い、回転ずしにした。はま寿司。

我々はすんなり入れた。しかし、その後、とんでもなく混んできて、まあそれが原因なのか、寿司のネタがころんと落ちたり、トッピングされているネギなどが恰好悪かったりと、今まで行った同店のクオリティの中では最低のレベルだった。

まあ、味的には悪くは無かった。

あ、でも、ひとつだけ、ひっからびた軍艦巻をうっかり取ってしまい、食べたら、物凄くまずかった。ずっと回っている皿もチェックされていないってことだな。スタッフさん達も一所懸命だし、敢えてクレームは入れないが、気をつけろってんだ。(笑)

ま、それはいいとして、ちゃんとしているものはちゃんとしていて、旨いので、ついつい食べ過ぎた。腹減ってないと言ってたくせに、最近では最多の13皿も食べてしまった。

一貫で150円とお高い皿が出来たんだね。13皿の中の3皿はそれだった。
まあ、大して高級な感じじゃなかったかな。




全部の写真は撮ってない。
良さそうなのだけチョイス。

1皿150円のは真ん中の段のもの。
左は中トロと言っても、そうかなあ、って感じだったし、アワビもイマイチだった。
むしろ一皿90円(土日は100円)で2つのほうが美味しかった。

2015.3.13

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実家の電子レンジ

はま寿司を出た後、急遽、対面にあるヤマダデンキに行くことになった。
母が「とうとう、電子レンジが壊れてしまった。」と言ったからだ。

よく考えてみると、実家の電子レンジというのは、電子レンジが世の中に登場してからそれほど経たない頃に亡き父が買ってきたものだ。

当時はいくらぐらいだったんだろう。

Wikiによると、1965年より市販されたと書いてある。
1964年は東京オリンピックの年なので、そんなに前だったのかと驚く。

実家の電子レンジはいくらなんでもそんなに古くはない。世の中に登場してからすぐと前述したことは撤回。ただ、なんとなくだけど、1970年頃にはあったと思う。だから少なくとも45年間も使い続けていたのだ。凄いことだ。

本当だったらまだまだ使い続けることも出来たようだ。

後で分かったけれど、たぶん出入りのヘルパーさんの操作ミス的なことが原因。タイマーがとんでもない位置にあって、それでオーバーヒートして壊れてしまったようだ。まあでも、これだけ使ったら充分過ぎるくらいだ。むしろ、新しい電信レンジに買い替えるいいきっかけになったということだ。



今や驚くことに、1万円台のオーブン付きの電子レンジが売っている。
それにノンフライヤーやらスチームまで付いたものは2万円台。
安い。

母は、一応、なんでも付いているちょいと高めのものを購入。
重量は16kgだ。
まあ、それほど重くはない。

でも、後で入れ替えるときに古いほうのものを持った瞬間に腰がぴきっとした。
やばい。
なんとか大丈夫。

よくわからないけれど、おそらく40kgくらいあるんじゃないかというくらい重い。
体積も今日買った製品の2倍くらいありそうだ。

右がその歴史のある電子レンジ。

タイマーがダイヤル式、そして前面がオールダイキャスト。とんでもなく分厚い鋼板のような材料で出来ている。それだけでも重いのに。高さが今の電子レンジの1.5倍以上あり、厚みのある鋼板を使っている分横幅もある。そして、奥行もあるな。そういうことで、体積が2倍くらいになっているのだ。

今度平日に来たときにクリーンセンターに持って行かねばならない。
これ、持ち上げるだけでも一苦労。

大変だ。



実家の新しく買った電子レンジの据え付けを終えてから、すぐに幕張に戻る。
仕事が残っているので。

用があったので、少しだけ木更津やきそばに寄る。



相変わらず高澤俊作氏も元気。
この右側に予期せぬ写真上のトラブルがあったので、トリミングしたらこんなにアップになってしまった。(笑)

背後に、KiyooさんのCDのチラシが貼ってある。
ありがとね、マスター。

2015.3.13

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2015/3/13
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