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「コマキ楽器店」
パーカッションに特化した楽器店として、浅草のコマキ楽器は重要な役割を果たしてきた。現在はコマキ楽器店に加えて、JPC(ジャパン・パーカッション・センター)という呼称が、プロのドラマーやプロを目指している人に知られている。日本を代表する専門店である。
そのコマキ楽器店でジミー竹内はドラム教室を開いていた。
現在、音楽業界で活躍する有名ドラマーの中にも彼のドラム教室の門を叩いた当時の若者は数多い。

2010年10月17日 ジミー竹内記念館 管理人



右はコマキ楽器時代のお弟子さんからお預かりしたJPCの機関誌の表紙。2006年の時点で75周年だから、現在2011年では80周年記念ということになる。

この写真は1948年のものだという。
1945年8月14日、日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告。つまり、1948年とは、終戦から3年目ということになる。まだ戦争の傷跡が癒されていない頃だ。


尚、この冊子をお預かりしてからこのページのアップロードが大変遅くなり、申し訳ございませんでした。


コマキ楽器の会長、小牧正明氏の「コマキ楽器創立75周年を迎えて」という記事。

コマキ楽器店の原点は「コマキハーモニカ・アコーディオン専門店」で、昭和6年(1931年)私が生まれた年に御徒町で父の小牧八郎が創業しました。開業当時はその頃数多くあったハーモニカバンドのお客様が中心だったようですが、戦後現在の浅草(現パーカッションセンターのほぼ向かい側に店を移し、「有限会社コマキ楽器店」として再開し私が店を手伝う頃(1954年〜)は、ジャズが流行り始め、お客様も場所柄プロのバンドマンが目立ちはじめました。

なるほど、原点はハーモニカとアコーディオンだったのか。


写真で見るコマキ楽器75年の軌跡
非常に興味深い記事だ。
もちろん、ここにジミー竹内も登場する。

1953年 南里文雄氏の紹介によりハナ肇、白木秀雄、ジミー竹内等、ジャズマンとの取引が始まる。

ジミーとコマキ楽器のおつきあいの始まりが記されているのである。



<参照>
コマキ楽器店のHP = http://www.komakimusic.co.jp/



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