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「ジミー竹内 写真館」  [写真館 INDEX

ジミー竹内の活動記録です。
また、ジミーが好きだったクルマの写真、カメラの写真などを掲載します。
(なるべく時代順に並べる予定ですが、現在のところ、ランダムになっております。)
投稿大歓迎です。
このサイトをご覧の方でジミーの写真をお持ちの方はお貸しください。

2010年1月10日 ジミー竹内記念館 管理人




  竹内和三郎 誕生!


昭和6年(たぶん生まれた翌年)の端午の節句。父に抱かれるジミー。
お父上の顔立ちの良さといい、節句の飾りの豪華さから見て、裕福な暮らしだったと思われる。
ジミーは目がくりっとしていて可愛い。お母さんは美人だ。写真の裏側に、「祝 昭和10年11月15日 のり子31歳、和三郎5歳」と記されている。昭和10年というと1935年。太平洋戦争まであと6年である。

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  ジミー竹内 プロ活動スタート



東京市吹奏楽部青少年団の終了証。青少年団長が陸軍大将である。時は昭和18年。つまり戦争の真っ只中。ジミーがもうすぐ13歳になるところである。終戦はそれから2年後。昭和20年8月15日だ。


おそろしく若いジミー竹内。たぶん14歳か15歳くらいじゃないだろうか。ジミーがデビューしたのは、終戦の年だったとか。そんなときにすんなり進駐軍のキャンプでドラムを叩いていたのだから凄い。

クリックすると拡大いたします。
この写真もかなり若い。たぶん、18歳とか19歳くらいじゃないだろうか。

クリックすると拡大いたします。



そしてお馴染みの原信夫とシャープス&フラッツに入団、初代ドラマーとして活躍する。
ドラムのイニシャルはまだJTでなくてWTである。即ち、竹内和三郎の名前で活動していたのだ。





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  日本のトップドラマーへ








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  ドラム ドラム ドラム

ジミー竹内を語る上に欠かせないのが、「ドラム ドラム ドラム」と銘打たれたアルバム。同シリーズはドラム好きはもちろん、ジャズファン、ポップスファン、歌謡曲ファンに広く支持され、二十作を優に越える快挙を成し遂げた。





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  その他 更新中


その他の写真については鋭意追加作業中です。
少々お待ちください。

管理人のキャパの問題で遅くなる場合もあります。
予めご了承ください。


ジミーの愛したクルマたち

カメラコレクション

ジミー愛用のグッズなど

世良譲トリオ

ジミー竹内還暦&誕生パーティー in 品川パシフィックホテル
  1990年6月、ジミー竹内は60歳になった。
  古くからの友人や、ミュージシャン仲間、諸先輩がジミー竹内を祝福しに集まった。


ジミー竹内バンド 1990年冬

三社祭にて
  1991年5月、浅草。

2000年 新年会

ジミー竹内・古希祝パーティー
  2001年6月29日。ジミー竹内の71歳の誕生日。
  本来は前年(2000年)だったけれど、古希祝のパーティーも兼ねたライブイベントを開催。


日本酒とジャズの夕べ
  2001/9/7 王子駅前の北トピアで開催されたイベント。
  ジミーの健在ぶりを大いにアピールした。

2002年 新年会

ジミー竹内・ドラマー人生60周年記念&75歳誕生祝いパーティー

ジャケ写真/教本/インタビュー記事
  
福島県にお住まいのAきやま@山猫軒さんから写真を頂きました。
  貴重な教本の写真や、パールドラムのカタログに載っていたジミー竹内のインタビューをご覧ください。


ロックドラム・ジャズドラム教本
   Stadio Lightの保坂様より写真を頂戴しました。
   保坂様は新宿のドラム教室に通ったお弟子さんです。


サイン

通夜 / 告別式   2010/1/5

Memories of Jimmy Takeuchi / 偲ぶ会   2010/6/27
  本来だったら80歳の誕生日。その誕生日を待たずして、ジミーは天国に行ってしまった。
  主役のいない初めての誕生イベント。でも、ジミーのゆかりのミュージシャンが集まり、想い出の曲を演奏した。

スウィングジャーナル誌 3月号に  2010/6/26

コマキ楽器店
  ジミー竹内に縁(ゆかり)のある楽器店。ここでジミーはドラム教室を開催。
   ここから巣立った有名ドラマーは数多い。



この写真館には、1990年以降の写真が少ない。ジミー竹内は、1985年〜1995年頃に、都内を中心としたライブハウスなどに精力的に出演していた。メインは世良譲トリオ。その他はジミー竹内バンドなど、自身がリーダーとなる編成もあった。また、北村英治グループのドラマーとしてディナーショーなどにも出演していた。その頃のジミーはアブラが乗っていて、サイコーだった。写真に収めていなかったことを今更悔やんでいる。手軽なデジカメが登場する前の時代なので仕方あるまい。
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管理人: Takashi Shibazaki  制作協力: Kazuco Sano、Ted Sato  / 管理人ブログ しばざ記