単なる中年おやじによる戯言
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栗原七郎さんのご遺族を探しています
六十数年前の日の丸がオーストラリアから日本に帰ってきた。
最愛の息子を戦地に送らねばならなかった当時の親の気持ちが伝ってくる。


第二次世界大戦中、赤紙一枚で召集され、遠く南の地で戦死を遂げた栗原七郎氏。
その遺品である日章旗(日の丸)には「祝」の文字と、「祈」の文字が、そして、多くの方々の寄せ書きが記され、胸を熱くする。
この日章旗はベイタウンで英語教室をされているA.Satoさんがお預かりしている。
オーストラリアのご友人が本来の持ち主(ご遺族か関係者)を見つけてお返ししてほしいとA.Satoさんに託したもの。

とはいっても手がかりは故栗原七郎氏本人のお名前と、ご親戚、ご友人のお名前のみ。日付も無いし、どこの部隊に所属していたとか、どこで戦死したのかなどは全く分からないらしい。日本から遠く離れた異国の地で、栗原七郎氏がこの日の丸に書かれている親、兄弟、親戚、近所の人、恩師、友人などの名前を見ては故郷を懐かしんでいたのだろう。

日章旗の素材は絹で、おそらく裕福な家庭だったろうと想像できる。それと割合綺麗で、保管も良かったのだが、妙に生々しい。どこから、どうやってA.Satoさんのご友人が所有していたかは分からない。とにかく、一刻も早くご遺族にお返ししたいので、心当りの方は、ご連絡をください。

詳しく(写真)は、以下のページをご覧ください。

http://www.oretachi.jp/info/hinomaru.htm



追記:

第二次世界大戦の開戦から既に68年。
仮に栗原七郎さんの出征の年齢が19歳だとして、ご両親が44歳の辺り(つまり25歳のときのこども)、出征が開戦の3年後どすれば、それから65年経ったのが現在である。

彼のご両親がもし存命だとしたら、(44+65年)109歳の高齢である。それだけあまりにも日数が経ってしまっているわけだ。日の丸に名前を書かれた他の方々にしてもかなり高齢になっている筈。だが、この日の丸はつい昨日それらが書かれたように妙になまめかしいのである。




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2009/5/15
しばざ記 675
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